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事務院室の空気が緩むお昼時。ロビーも生徒でざわつき始めていた。
あたしは紺色のファイルを開き、空腹を抱えていた。朝は食べる派。今朝は少し寝坊をして、シリアルを簡単に胃へと流し込んだだけだった。11時になる前からお腹が空いてたまらない。
「華ちゃん、お昼行く?」
「あ、この名簿チェックしてから行くね」
「んじゃ、あたし待ってる」
お昼の声をかけてくれたリエちゃん。同じ職場で歳が近いこともあって、すごく仲良しだ。
進学予備校の事務員室。あたしの背中側には、受付がある。
「ありがと。すぐ終わらせる」
生徒名簿のチェックもあと5分くらいで終わるから、リエちゃんをそう待たせることも無いだろう。
あと数人で終わりだというところまで来て、視線を名簿の上の方に移す。荻野青司という名前で止まる。
青司。2浪中の予備校生。この予備校の医学部コースクラス在籍。あたしは彼を知っているし、彼はあたしを知っている。
その「知っている」の種類。講師やチューター、普通の事務員として、生徒と関わり合いになるのと、あたし達はちょっと違っていた。
さっき、スマホにメールが来ていたけど、今夜は会えそうに無い。明日か、週末。源也が残業の時。出張もたまにあるから、その時。あとは、源也に嘘をついて外泊する時。理由はそれぞれ。
青司と会うのは、予備校の外。この建物の中じゃ、事務員と予備校生。外に出れば、違うふたり。会う約束をして、その時限定で、青司はあたしを、抱く。その時だけの、ふたり。それ以上でも以下でも無い。
チェックが終わったので、名簿を閉じる。斜め前のデスクに居るリエちゃんに「お待たせ」と言うと、微笑み
返してくれた。お財布とスマホを持って席を立つ。
「お蕎麦ばっかりで飽きたよねぇ」
リエちゃんが外へのドアを開けながら言った。うちの予備校には学食が無い。あると良いのになと思う。いつか、安くて美味しい料理が食べられるのを、夢見ている。
進学予備校の仙台校。1階には受付があって、あたし達が居る事務員室がある。時期によってピリピリしてくる。模試やコースの貼り出しがある掲示板をちらりと見て、前に進んだ。
新しいオフィスビルに入っている会社に勤め、ピカピカの高いヒールを履いて、お洒落に歩く働く女性を見ていると、良いなと憧れるけれども、あたしはこの少し煤けた予備校ビル、嫌いじゃない。だから、お洒落なランチを堪能できるレストランやカフェがあるわけじゃなく、決まってビルの裏手にある蕎麦屋だ。うどんやご飯ものもあるよ。
「あたしうどんにしよう」
「華ちゃん、いつもだいたいうどんじゃん」
リエちゃんはカツ丼にすると言っている。朝食べられなくて、お昼がっつり食べたいそうだ。あたしも空腹を抱えている。でもうどんにしよう。



