そのドイツ語作文に
いじめ体験手記をありのまんまにかいた。
体験したいじめ被害と、
その時死を考えたこと、
人を信じれなくなったことも!
なによりも
卑劣な騙し方されて、そのせいで
人に無礼で失礼なこと言う無礼な非常識な人間と思われるように仕組まれて
悔いも消えなく、
ひとが怖くなったこと
そのとき
うちに失礼な無礼なこと言ったんだよ
どうせうち男しか興味ないわ、と怒鳴られたこと
いじめのあった時助けがなかったこと、
失礼な無礼なこと言うやつ、非常識なやつってレッテル貼られ、庇ってくれる人もなかったこと、
なにより、その複数のいじめ学生に、
スカートの時に、それもおかまいなしに、
無理にM字開脚など強要されたことも
インナーを見せてみろと強要されたことまであったこと(この部分には、ドイツ語作文と同時に提出した日本語の字幕を読んだ生徒は、
完全に明らかに犯罪じゃないか、
ひどい!
強要と詐欺は、数年以下の懲役のはずだ、
そこまでやったら、悪いやつに絶対決まってる、
普通に嫌う程度ならともかく
そこまでいじめや嫌がらせしてたら悪い奴、
いじめやってる人は生きてる権利ない、
いじめやってる方は傷つかず悲しまないで完全に安全に呑気に安全圏に生きてるのは不公平、
とおこりだし、泣き出すコまで何人もいた!)
来世以降
いじめのない星で暮らしたい思ったこと、
いじめなんかする人のない公正な正しい公正な学校や星で暮らしたいこと
いじめられた無念は消えないこと、ドブへ嘔吐したこともあり
、いじめられた時は世間の全員の人が悪魔にしか見えなくなったこと、
生きていく勇気を今後は失いたくないこと、
生きていく幸せを必ず自分と、出会えた大事な友人たちと、証明したいこと、必ず、いじめられたことが原因の悲しみ傷、辛さ、を必ず越えたいこと、そして、
いじめられる側といじめる側とでは悲しみや辛さが、比較できないほど違いすぎること、
いじめられる側には世の中の全ての人間が、悪魔みたいに見えること
だけど今は、人信じれるように
人信じる勇気を持てるようになってきて、
世間の人は
いじめ差別、意地悪するひと以外なら
ほんとの悪い人はいないと思うこと
を、ドイツ語で書いた。
(宰子や、須藤やミサ、
村田、後藤、窪田、宰子の他の仲間など
あそこまでむごいひどい騙し、強要、いじめいじわるを大勢で一人にだけするそこまでいじわるする奴を除いたら、ほんとの心底根っから悪いひと
100%悪い人はいない。
自分に、ひどいセリフを良いセリフみたく信じ込まされたせいで、無礼なこと喋る悪いやつって、
その被害者が誤解されて孤立したのに
そのことに痛みや罪悪感とかも後悔も何も感じない、
いじめ被害者が眠れないほどに深く、比較ならないくらい追い詰められてもなんとも思わないし
後悔もしない、
そういう人の悲しみ苦しみが全くわからない本当の意地悪なやつもいるにはいる、が、
そこまでひどい騙しいじめをしてる人間をのぞいて
本当の心底のわるいやつは絶対いない!!
と今は信じれる。


ゆきえはいまはしんじられる、

一部のとくしゅなとくべつな例を除き、
あそこまでひどい騙し強要といじわるする人を除いたら、100%悪いひとはいない)



ドイツ語だけでうまく伝わるか分からないので
日本語の字幕と一緒にそのドイツ語作文を、
ドイツ語作文担当の、
フールト・フォルカー・ミハエル先生へ提出した。

フールト・フォルカー・ミハエル先生は日本語も堪能で、だいぶ前から日本に住んでいる。フールト先生の息子らも、別の大学に通い、
フールト先生の嫁さんも、田中ようこといい、
学内の別の学部の先生である。



フールト先生に、その作文、授業でぜひ発表してくれないかと頼まれ、授業で教壇の前に出て発表すると、
他の学生からも拍手喝采だった。
(泣き出すコもいる始末!)
フールト先生は
神妙な顔で
ドイツやヨーロッパでもいじめは
深刻な問題となってます、
いじめられると、クラスや周囲で自分だけがいじめられると、ひとがしんじられなくなり
すべての、地球のすべての人間が悪魔か鬼のように思えます、
いじめられる側を比較ならないほど傷つけます
という。


フールト先生がその作文の、ドイツ語のほうの作文用紙の右上に、赤ペンで
「この作文は、この大学の最高点では100点、秀、
しかし

世間の基準と僕の評価なら
不可説不可説転点」
と、フールト先生らしい小さな可愛い字で
小さく書いてあった。
(フールト先生は
この近くの学院大学でもドイツ語を教えてて、
学院大学のドイツ語の受講生にも
その作文と日本語の字幕を渡した。)
ゆきえは嬉しくなった。