現像に一万かかったらしい写真は、一年半過ぎた今も整理出来ずにいる。

その間に知り合いが亡くなり、その後に友達が亡くなった。

孤独死に気づいて開錠に手を尽くしたのは私。

法律の壁。

一本の電話が今でもトラウマだ。

テレビで見る刑事ドラマそのもの。

『〜さんですか?〜さんをご存じですよね?
最後に〜さんと連絡をとったのはいつですか?』


矢次早な質問に素晴らしく完璧に答えながら、刑事の言葉を遮った。


「それで、そちらはどういう状態なんですか!無事なんですか?教えて下さい!」


『お亡くなりになっていました』


無線の音。続く刑事の質問。

電話を切った後、私は発信した。

あの人が死んでた!誰か助けてと。

その人が死んだ日にその人が死んだ夢を見て三日、生きた心地がしなかったから。

タクヤに泣きながら知らせた後、電話が鳴った。
一度話した事があるネットの友達だった。

私は絞り出すような声で泣き、あの人が死んでしまったと告げ、後は嗚咽だった。


長い長い付き合いの人だった。

今年の初盆にはご家族の話では、供花の一本が、どうしても私の送ったブリザードフラワーの弔電に向くとの事だった。


春には昨年会った友達の長年患ったお母さんが亡くなった。


友達は自分の人生の全てをお母さんの介護に尽くした人。


その悲しみは大きかった。

結婚という道を選ばなかった事で、父親や親戚に責められ、23年位付き合っていた彼にも冷たく突き放されて、私もそれらを聞きながら泣いてしまった。

でもとても頑張りやさんだから、毎日がむしゃらに働く事で前を見ている。


ずっと交流のある町田の友達のお母さんも癌を患い闘病中だ。

その友達の悲しみぶりも大きい。


明日は誰だろう。
私かも知れない。

私も心臓を患い、薬に体が耐えられなくなっている。