やがてそれぞれの一夜が明けて――。
早朝の日の光が差し込む、中庭へと続く通路を歩いている銀髪の王がいる。
爽やかな風が吹き抜けて艶やかな彼の髪をゆるやかに流していく。大事そうに抱かれた彼の胸元には、愛くるしい幼子が丸い瞳を彼に向けてニコリと笑い掛けていた。
「あぁ、今日も素晴らしい朝だね」
キュリオは風に靡いたアオイの髪を指先で梳いて微笑みを浮かべる。
柔らかく絡んだ絹糸のような髪に彼女の成長の証を感じたからだ。
「お前が来てもうどれくらいだろう?」
聖獣の森で出会った日からそれ程経過していないようにも思えたが、人生で一番濃密で幸せな日々であったと断言できる。
初めて欲した小さな愛にこれほど執着するとは彼自身思っていなかったに違いない。今となっては彼女の顔を見て触れていなければ不安になってしまうほどだった。
「ふふっ、髪は切らずに伸ばしておこうか?」
(大きくなったアオイの好みはどちらだろうな。私としては髪を梳く楽しみの意味でも、やはり長いほうが……)
悠久に決まった風習はなく、キュリオのように男が長髪であろうともなんの問題もない。そして女が短髪であろうとも、女性らしさを損なうような考えには決してならないのだ。
歩きながら幸せな悩みを持て余していると、白銀の髪を揺らした青年が背後から近づいてきた。
「おはよう。ダルド」
親密な気配に気づいたキュリオは、彼の姿を目にする前に親しみ込めた声とともに振り返った。
「うん。おはようキュリオ。髪飾り、できた」
正装を纏ったダルドが美しい小箱を差し出すと、受け取ったキュリオは小さく頷いた。
「急がせてすまなかったね。ありがとう。疲れていないかい?」
「大丈夫。
……僕は、伸ばしたほうがいいと思う」
「……?」
急に何の話かと思ったキュリオは一瞬無言になったが、元銀狐だった彼の能力を思い出して微笑む。
「ふふっ、話を聞かれてしまったかな?」
「……うん。髪飾りつけるなら長いほうがいい」
「そうだね、うっかり短くしてしまわぬよう心がけるとしよう」
自身の希望を伝えるようにアオイの瞳を見つめると、優しげな眼差しがキュリオのもとへと舞い上がる。
「きゃぁっ」
「あぁ、アオイも私たちと同じ意見のようだね」
「うん。それとキュリオ……あのふたりの杖と剣もここにある」
彼の持つ魔道書は淡い光を湛えて穏やかなふたつの鼓動を繰り返している。
「わかった。朝食のあとで少し打ち合わせをしようか」
「……うん、……」
ちらりと赤子の顔を見るだけに留まったダルド。
彼と目が合ったアオイも見知った顔に嬉しそうな声をあげたが、どことなく落ち着きがない彼は――
「……それまで散歩してくる」
「……? あぁ、いっておいで」
アオイを好いてくれている彼ならば、このまま散歩に付き合ってくれるだろうと踏んでいたキュリオの予想は外れてしまった。
そして元より口数の少ないダルドはそのまま足早に立ち去ってしまった。
(ダルド……?)
なんとなく避けられた気がしてならないキュリオは、その真意を図ろうと彼の後姿を見つめるが……その数十秒後、苦笑とともに納得してしまった。
「……っおっ、おおおおはようごっざいますっっキュリオ様!!」
「やぁカイ、素敵な朝だね」
大理石の柱の影から姿をあらわした小さな見習い剣士。朝の鍛錬が終わったらしい少年の額には、うっすらと汗の粒が光っている。
声を掛けながらも彼が近づいてくるまでその場から動こうとしないキュリオ。
「…………」
(……任務の内容はブラストから聞いているはずだ)
良い知らせを持ってきてくれたのならば、彼から近づいてくれるとキュリオは信じている。
「お、俺……っ!」
「なんだい?」
見習い剣士が緊張していたことは明らかだったため、なるべく負担をかけぬよう笑みを浮かべたまま素知らぬ顔を続ける。
「……っ」
カイの視線の先には後光を纏ったように神々しい王の姿。
並みならぬ決意を秘めたカイは導かれるように歩みを進めながら深呼吸を繰り返すが、極度の緊張に息が浅くなり、次第に冷や汗が流れはじめた。
「……っは、はぁっはっ……」
(お、俺……やりたいっ! じゃなくて……っ任務がほ、ほし……!?)
やる気と勢いばかりで言葉をきちんと考えていなかったカイ。彼は頭で考えるより体が先に動いてしまうタイプのため、こうして行動のあとに行き詰ることが多々ある。しかし、それもすべてお見通しなキュリオは嬉しそうに笑みを深めた。
「飾らなくていい。君の言葉で教えておくれ」
「あ……」
「……俺に任せてくださいっっ! だれよりも強くなって必ずお姫様を守ります!」
この少年のキラキラと輝く瞳の奥に、悠久の剣士として気高い誇りが芽吹いていく様をキュリオは見逃さなかった。
(本当に良い目をしている……)
「ありがとう。そう言ってくれると信じていたよ」
「は、はいっ!!」
握手を求めてきた銀髪の王の手をしっかり握りしめたカイ。
手の平から伝わってくるキュリオの力に目を見張りながらも、掲げた志は負けじと輝き続ける。
「カイ、この子が私の娘のアオイだ。君とは年も近い。仲良くしてやっておくれ」
「……っ!」
これまでにないほど穏やかな顔をしたキュリオがわずかに腕を下げると、大事に抱えられたその中心に小さな女の赤ん坊の姿がある。
カイは仕えることになるであろう姫君との初顔合わせに胸を高鳴らせながら、赤ん坊と視線を合わせるべく背伸びして覗き込む。するとこそにはキュリオの顔を見上げながら頬をピンク色に染め、嬉しそうに瞳を細めてきゃっきゃと手を伸ばしている悠久の姫君がいた。
伸ばされた手の先へ視線をうつすと、キュリオが微笑みながら小さな手に頬を寄せて幸せそうに目を閉じている。
「アオイ、カイだよ。わかるかい?」
アオイの視界にカイが入るようさらに腕を下げると、視界の端に飛び込んできた少年の瞳を見つめた赤ん坊はキュリオにしたのと同じようにその手を伸ばして嬉しそうな声を上げた。
「んきゃぁっ」
「ふふっ、アオイはカイのことが気に入ったようだね?」
「カ、カイと申しますっ! アオイ姫様っ!
これからはお傍を離れず、ずっとずっと! 姫様をお守りさせていただきます!」
幼いながらもカイは城守の騎士らしくアオイに一礼してみせた。
そんな様子をみていたキュリオは小さく頷くと、赤子のアオイを抱いて中庭へと歩いていく。
「俺のお守りする姫……アオイ姫様……!」
カイは使命感に満ちた顔で幼い姫の名をつぶやくと、キュリオの声が届いた。
「カイ? アオイの傍を離れないんだろう?」
笑いながら立ち止まり、キュリオがこちらを振り返る。
「はいっ!! キュリオ様! アオイ姫様!」
カイの元気な声があたりに響くと、いつの間に顔を揃えていた家臣や女官たちは微笑ましげにその様子を見守っていたのだった――。
「お待たせ致しましたキュリオ様。姫様のご準備が整いましたわっ」
聖母のような笑みを浮かべた女官が恭しく一礼し言葉を述べる。
「そうか。ひとめ見たら私も準備に取りかかるとしよう」
彼女の声に振り向いたキュリオは窓辺から離れ、はやる気持ちを抑えながら隣接するロイの作業部屋へ足を向ける。
(耳を澄ましていたがアオイの声は聞こえなかった。本当に手のかからぬ子だな……)
思えば彼女が来てからというもの、ぐずる姿をほとんど見たことがない。そして赤子の睡眠時間を考えてみてもまだまだ眠りたいはずなのに、キュリオの起床に合わせて目を覚ます彼女。眠気をおして無理に笑いかけてくれる顔がなんともいじらしく、しばらくベッドで寝かせてやろうと思うのだが頑なに拒むのだから連れて歩かないわけにもいかず、時が彼女を夢の世界へ誘うまで待って腕の中で眠らせるのが日常となっていた。
そして朝食のミルクを口にし、日課の散策が終えるころにはまた眠ってしまうのだが、不意に目覚めても泣いてなにかを要求することのない彼女は気を使っているのではないかと思うときがある。
(無理に泣けとは言わないが、子供らしい一面を飽きるほど見てみたい……という私こそ我儘なのだろうか?)
"甘えと優しさ"を履き違えてはならない。
先代悠久の王・セシエルより教えられたこの言葉を強く胸に刻んでいるキュリオだが、それさえ簡単に飛び越えてしまいそうなほどにアオイの存在が愛しくてたまらないのだ。
「……加減がわからぬな……」
「姫様のことでございますか?」
どこか不安そうなキュリオの言葉に、後ろを歩く女官が声に笑みを載せて問い返す。
「……あぁ、あの可愛い顔を見ていると、つい甘やかし過ぎてしまいそうでね」
早朝の日の光が差し込む、中庭へと続く通路を歩いている銀髪の王がいる。
爽やかな風が吹き抜けて艶やかな彼の髪をゆるやかに流していく。大事そうに抱かれた彼の胸元には、愛くるしい幼子が丸い瞳を彼に向けてニコリと笑い掛けていた。
「あぁ、今日も素晴らしい朝だね」
キュリオは風に靡いたアオイの髪を指先で梳いて微笑みを浮かべる。
柔らかく絡んだ絹糸のような髪に彼女の成長の証を感じたからだ。
「お前が来てもうどれくらいだろう?」
聖獣の森で出会った日からそれ程経過していないようにも思えたが、人生で一番濃密で幸せな日々であったと断言できる。
初めて欲した小さな愛にこれほど執着するとは彼自身思っていなかったに違いない。今となっては彼女の顔を見て触れていなければ不安になってしまうほどだった。
「ふふっ、髪は切らずに伸ばしておこうか?」
(大きくなったアオイの好みはどちらだろうな。私としては髪を梳く楽しみの意味でも、やはり長いほうが……)
悠久に決まった風習はなく、キュリオのように男が長髪であろうともなんの問題もない。そして女が短髪であろうとも、女性らしさを損なうような考えには決してならないのだ。
歩きながら幸せな悩みを持て余していると、白銀の髪を揺らした青年が背後から近づいてきた。
「おはよう。ダルド」
親密な気配に気づいたキュリオは、彼の姿を目にする前に親しみ込めた声とともに振り返った。
「うん。おはようキュリオ。髪飾り、できた」
正装を纏ったダルドが美しい小箱を差し出すと、受け取ったキュリオは小さく頷いた。
「急がせてすまなかったね。ありがとう。疲れていないかい?」
「大丈夫。
……僕は、伸ばしたほうがいいと思う」
「……?」
急に何の話かと思ったキュリオは一瞬無言になったが、元銀狐だった彼の能力を思い出して微笑む。
「ふふっ、話を聞かれてしまったかな?」
「……うん。髪飾りつけるなら長いほうがいい」
「そうだね、うっかり短くしてしまわぬよう心がけるとしよう」
自身の希望を伝えるようにアオイの瞳を見つめると、優しげな眼差しがキュリオのもとへと舞い上がる。
「きゃぁっ」
「あぁ、アオイも私たちと同じ意見のようだね」
「うん。それとキュリオ……あのふたりの杖と剣もここにある」
彼の持つ魔道書は淡い光を湛えて穏やかなふたつの鼓動を繰り返している。
「わかった。朝食のあとで少し打ち合わせをしようか」
「……うん、……」
ちらりと赤子の顔を見るだけに留まったダルド。
彼と目が合ったアオイも見知った顔に嬉しそうな声をあげたが、どことなく落ち着きがない彼は――
「……それまで散歩してくる」
「……? あぁ、いっておいで」
アオイを好いてくれている彼ならば、このまま散歩に付き合ってくれるだろうと踏んでいたキュリオの予想は外れてしまった。
そして元より口数の少ないダルドはそのまま足早に立ち去ってしまった。
(ダルド……?)
なんとなく避けられた気がしてならないキュリオは、その真意を図ろうと彼の後姿を見つめるが……その数十秒後、苦笑とともに納得してしまった。
「……っおっ、おおおおはようごっざいますっっキュリオ様!!」
「やぁカイ、素敵な朝だね」
大理石の柱の影から姿をあらわした小さな見習い剣士。朝の鍛錬が終わったらしい少年の額には、うっすらと汗の粒が光っている。
声を掛けながらも彼が近づいてくるまでその場から動こうとしないキュリオ。
「…………」
(……任務の内容はブラストから聞いているはずだ)
良い知らせを持ってきてくれたのならば、彼から近づいてくれるとキュリオは信じている。
「お、俺……っ!」
「なんだい?」
見習い剣士が緊張していたことは明らかだったため、なるべく負担をかけぬよう笑みを浮かべたまま素知らぬ顔を続ける。
「……っ」
カイの視線の先には後光を纏ったように神々しい王の姿。
並みならぬ決意を秘めたカイは導かれるように歩みを進めながら深呼吸を繰り返すが、極度の緊張に息が浅くなり、次第に冷や汗が流れはじめた。
「……っは、はぁっはっ……」
(お、俺……やりたいっ! じゃなくて……っ任務がほ、ほし……!?)
やる気と勢いばかりで言葉をきちんと考えていなかったカイ。彼は頭で考えるより体が先に動いてしまうタイプのため、こうして行動のあとに行き詰ることが多々ある。しかし、それもすべてお見通しなキュリオは嬉しそうに笑みを深めた。
「飾らなくていい。君の言葉で教えておくれ」
「あ……」
「……俺に任せてくださいっっ! だれよりも強くなって必ずお姫様を守ります!」
この少年のキラキラと輝く瞳の奥に、悠久の剣士として気高い誇りが芽吹いていく様をキュリオは見逃さなかった。
(本当に良い目をしている……)
「ありがとう。そう言ってくれると信じていたよ」
「は、はいっ!!」
握手を求めてきた銀髪の王の手をしっかり握りしめたカイ。
手の平から伝わってくるキュリオの力に目を見張りながらも、掲げた志は負けじと輝き続ける。
「カイ、この子が私の娘のアオイだ。君とは年も近い。仲良くしてやっておくれ」
「……っ!」
これまでにないほど穏やかな顔をしたキュリオがわずかに腕を下げると、大事に抱えられたその中心に小さな女の赤ん坊の姿がある。
カイは仕えることになるであろう姫君との初顔合わせに胸を高鳴らせながら、赤ん坊と視線を合わせるべく背伸びして覗き込む。するとこそにはキュリオの顔を見上げながら頬をピンク色に染め、嬉しそうに瞳を細めてきゃっきゃと手を伸ばしている悠久の姫君がいた。
伸ばされた手の先へ視線をうつすと、キュリオが微笑みながら小さな手に頬を寄せて幸せそうに目を閉じている。
「アオイ、カイだよ。わかるかい?」
アオイの視界にカイが入るようさらに腕を下げると、視界の端に飛び込んできた少年の瞳を見つめた赤ん坊はキュリオにしたのと同じようにその手を伸ばして嬉しそうな声を上げた。
「んきゃぁっ」
「ふふっ、アオイはカイのことが気に入ったようだね?」
「カ、カイと申しますっ! アオイ姫様っ!
これからはお傍を離れず、ずっとずっと! 姫様をお守りさせていただきます!」
幼いながらもカイは城守の騎士らしくアオイに一礼してみせた。
そんな様子をみていたキュリオは小さく頷くと、赤子のアオイを抱いて中庭へと歩いていく。
「俺のお守りする姫……アオイ姫様……!」
カイは使命感に満ちた顔で幼い姫の名をつぶやくと、キュリオの声が届いた。
「カイ? アオイの傍を離れないんだろう?」
笑いながら立ち止まり、キュリオがこちらを振り返る。
「はいっ!! キュリオ様! アオイ姫様!」
カイの元気な声があたりに響くと、いつの間に顔を揃えていた家臣や女官たちは微笑ましげにその様子を見守っていたのだった――。
「お待たせ致しましたキュリオ様。姫様のご準備が整いましたわっ」
聖母のような笑みを浮かべた女官が恭しく一礼し言葉を述べる。
「そうか。ひとめ見たら私も準備に取りかかるとしよう」
彼女の声に振り向いたキュリオは窓辺から離れ、はやる気持ちを抑えながら隣接するロイの作業部屋へ足を向ける。
(耳を澄ましていたがアオイの声は聞こえなかった。本当に手のかからぬ子だな……)
思えば彼女が来てからというもの、ぐずる姿をほとんど見たことがない。そして赤子の睡眠時間を考えてみてもまだまだ眠りたいはずなのに、キュリオの起床に合わせて目を覚ます彼女。眠気をおして無理に笑いかけてくれる顔がなんともいじらしく、しばらくベッドで寝かせてやろうと思うのだが頑なに拒むのだから連れて歩かないわけにもいかず、時が彼女を夢の世界へ誘うまで待って腕の中で眠らせるのが日常となっていた。
そして朝食のミルクを口にし、日課の散策が終えるころにはまた眠ってしまうのだが、不意に目覚めても泣いてなにかを要求することのない彼女は気を使っているのではないかと思うときがある。
(無理に泣けとは言わないが、子供らしい一面を飽きるほど見てみたい……という私こそ我儘なのだろうか?)
"甘えと優しさ"を履き違えてはならない。
先代悠久の王・セシエルより教えられたこの言葉を強く胸に刻んでいるキュリオだが、それさえ簡単に飛び越えてしまいそうなほどにアオイの存在が愛しくてたまらないのだ。
「……加減がわからぬな……」
「姫様のことでございますか?」
どこか不安そうなキュリオの言葉に、後ろを歩く女官が声に笑みを載せて問い返す。
「……あぁ、あの可愛い顔を見ていると、つい甘やかし過ぎてしまいそうでね」



