にわかには信じがたい話に言葉を失っているブラスト。肉親が存在しないのなら、空から降ってきたとでもいうのだろうか?
「むぅ……他国が嘘をついているとも考えにくいんじゃよブラスト。
姫様のお姿から見るに、どう考えても悠久が一番近い。珍しい色彩をお持ちのようじゃがありえんこともなかろうて」
「……姫様、でございますか?」
ガーラントが違和感なく口ずさんだ"姫"という言葉にブラストが首を傾げる。
「あぁ、その赤子は私の娘として育てる。明日の朝、皆の前で正式に公言するつもりだよ」
『カイとアレスには私の傍で長期的な任務に就いてもらうことにしたんだ』
数時間前に言われた言葉を思い出し、ようやく合点のいくブラスト。
キュリオは身寄りのない赤子を自分の娘として育て、カイとアレスは幼い姫の護衛ということになるのだろう、と。
(……素性の知れない姫君を……カイとアレスが……)
複雑な想いがブラストの胸を騒がせる。
赤子に打ち負かされるようなふたりではないが、カイは些かそそっかしい部分があり、降りかかる危険なシグナルを見落としてしまうかもしれない。
「…………」
「ブラスト、キュリオ様は可愛い弟子を手放せと言われているわけではないんじゃよ。大人ばかりの城の中では姫様もさぞ退屈じゃろうて。時に学び、時に遊び……同じ目線で語れる者をとお考えなのじゃ」
「はい、……承知しております」
ブラストの顔色がすぐれないのを"未熟な弟子に務まるのだろうか?"と、頭を悩ませているのだろうと捉えたガーラントはキュリオの想いを代弁するが、キュリオは違った。
彼が抱く不安は幼い姫を疑う気持ちからだと瞬時に察知していたからだ。
「前にも言ったが、あのふたり以外の適任者はいないと思っている。
そして私がもし聞くとしたら……あとはカイの意志だけだ」
冷酷なまでのキュリオの口調。王の鋭い瞳はブラストを排除することも厭わないと真に告げていた。
――キュリオの言葉で半ば強制的に打ち切られた話し合い。
退出したブラストは弟子を思いやる気持ちと王に対する忠誠のなかで葛藤を続けていた。
(最終決定は明日の早朝……あのカイが断るはずがない)
与えられた大きな使命に俄然やる気をみなぎらせているからだ。
「ブラスト!」
階段を下ろうとした彼の名を年老いた大魔導師が叫んだ。
「……ガーラント殿……」
「ここでは人の目がある。場所を変えて少し話をしよう」
ガーラントが先導し、移動した先はあの壮大な書庫の奥部屋だった。
「これでも飲んで落ち着くのじゃ」
「……申し訳ない……」
ガーラントお手製の渋めのお茶で喉を潤す。
自覚はなかったが、先程の緊迫した空気がすっかり喉をカラカラにさせていたようだ。幾分、肩の力が抜けたブラストの頃合いを見計らって話がはじまる。
「……お主、キュリオ様の命に背くつもりか?」
重々しい口調で口火を切ったガーラント。彼は王の右腕で、キュリオの出した命令には絶対服従の忠実な家臣だ。
しかし、きちんと下々の意見も聞き、その不安を取り除いてやる役割も担う。
「いえ……」
「じゃあなにを迷っておる?」
「……カイはまだ子供です。与えられた任務に浮かれて判断を誤ってしまうのではないかと……」
「キュリオ様は完璧を求めているわけではないのじゃよ。姫様とともに成長し、よき友となれるよう望んでおられる」
「……はい……」
「使者として経験を積んだことはカイの自信となり、剣士としての自覚が芽生えたかもしれん」
「……その通りです。使者としての任務を終えてからのカイは時が経つのも忘れ鍛錬を続けています。かつてないほどに……」
「うむ。信じるべきはキュリオ様とカイじゃ。それにアレスもおる。
キュリオ様はふたりを信頼し、期待されておる。いずれこの悠久を守る双璧になるやもしれん」
壮大にカイとアレスを持ち上げたガーラントだが、誰もがその可能性を秘めている。
任務をこなすばかりが己を上げることにつながるわけではないが、そこには必ず"責任"があり、その人物をひとまわりもふたまわりも成長させてくれるだろう。
「……いや、しかし……」
尚も踏ん切りのつかないブラストにガーラントは追い打ちをかけた。
「師は弟子の成長を見守り助けるものじゃよ。芽を摘んではいかん」
「…………」
(……確かにその通りだ。カイの千載一遇のチャンスを俺が潰してどうする……)
姫君を疑った心を恥じたブラスト。もしかしたら彼女を疑うことで、カイを手元に置いておける方法を模索していただけかもしれない。さらに言うなれば、姫君を疑うということはキュリオを疑うのと同じことになる。
(俺はまだまだキュリオ様への忠誠が足りないっ……なんという無礼を……っ)
(……クソッ!!)
ブラストは腰の剣へと手を添えると、愚かな自分を改めて鍛え直すことを固く誓う。
そして――
「ガーラント殿! お手間取らせて申し訳ない!! おふたりのおっしゃる通りです! このブラスト! カイの師としてその任務、お与えくださったキュリオ様に心より感謝いたします!!」
両ひざに手をつき、ガバッと頭を下げたブラスト。
熱血な彼らしく潔い幕引きだった。
「ふぉっふぉっふぉっ!!
儂も使者としてのアレスを送る際、あやつの身をひどく案じたものじゃ!」
高らかに笑う大魔導師は安堵の色を見せつつも、初めからブラストを信じていた。
彼ならば可愛い弟子のひた向きさを誰よりも買っているはずだからだ。
「いやいやガーラント殿! アレスの心配はいらないでしょう!」
「なにを言っておる! "送り出す勇気"は誰にでも必要なものじゃて!」
「……そうですね。それだけ互いに弟子が可愛いということでしょうなっ!!」
「その通りじゃよっ! ふぉっふぉっふぉっ!!」
「では! 早速カイと話してまいります!」
「うむ! 頼んだぞ!」
「ハッ! 失礼いたします!」
(頑張れよカイ……お前にはお前を支えてくれる人がいることを決して忘れるな……)
完全に吹っ切れたブラストは新たな幕開けに目を細めながらカイのもとへと向かった――。浄化された気の満ちる王の寝室は静寂に満ちていたが、微かな水音が奥の扉から漏れて人の気配を感じさせた。
その巨大な湯殿の一角で幼子を腕に抱いている銀髪の王の名はキュリオ。万能の癒しの魔法を得意とする彼だったが、相対する攻撃魔法や剣術をも極めたその能力は<悠久の王>のみが持つことの許された唯一無二のものである。
悠久のほとんどの民は能力を持たず、稀にみる剣を扱う能力を見出された者は王の従者として仕えることを許された。そしてさらに希少とされるのが魔力を持つ者だった。しかし、その魔力にはかなりの個人差があり、一番容易いとされる己の身だけを治癒することが可能な微弱な力の持ち主が大部分を占める。
最低でも他人をも癒すことができなければ<医術師(イアトロース)>を名乗ることも許されず、病や怪我のすべてを魔法の力で癒すことが可能なこの悠久の国では、人の世界でいう医療技術のようなものは存在していなかった。しかし自然にあふれ、穏やかな悠久では薬草と言われる類いの植物も多く生息し、【雷の国】の民はそれらを求めて国を訪れることがよくある。体の丈夫な彼らが病にかかることは滅多になく重篤な者はいないらしいが、鍛錬での生傷が絶えないというのは種族の特性からわかる気がする。
それらを含め五大国の王が持つ能力の意味を考えれば合点がいくのだが、<悠久の王>の力ですべてが解決してしまうこの国ではガーラントやアレスのように攻撃魔法や癒しの魔法を扱える術者は、広大な砂漠を民に例えてわずかスプーン一杯分ほどの数しかいない。
ここまでくると王の価値がわかってくるが、その長い時間を生きることを義務付けられた彼らは伴侶を持つ選択をした者の話は聞いたことがなかった。その理由は伴侶を得たところで妻となる者の寿命が永らえるわけではないからだ。ではその説明はどこからやってきたのか? と聞かれれば代々王に伝えられている話のひとつとなるのだが、先代の王であるセシエル曰く"この国以外に愛する対象など見つかりはしなかった"らしい。自身もそうなるだろうと信じて疑わなかったキュリオだったが、"娘"としてアオイを受け入れることに迷いはなかった。
銀髪の王は清らかな湯に身を委ねながら柱の合間より覗く月を無表情のまま眺めている。
「ずっとお前の傍にいるにはどうしたらいいのだろうね……」
キュリオとて大事な娘を他人に任せずとも済むのなら頼みはしない。
一秒たりとも離れず、彼女がなにを感じ、なにを見ているのかを共有できる方法があるならば教えて欲しかった。
「きゃはっ」
先程ひと眠りしたアオイは元気に手足をバタつかせている。どうやら己の立てた白波が面白く、興奮しているようだった。目を細めて可愛い仕草を見つめているキュリオは腕の中の赤子へ優しく囁く。
「ふふっ、次は白波のように柔らかなドレスを縫ってもらおうか?」
(それともワンピースがいいだろうか?)
こうして無垢なアオイを見つめていると自然に嫌なことが忘れられる気がした。
「…………」
しかし、すぐにキュリオの嫉妬が勢いを増してせり上がってくる。
「……いや、可愛いお前を他人の目に触れさせる必要がどこにある? 私しか知らない、寝間着がいい……」
「むぅ……他国が嘘をついているとも考えにくいんじゃよブラスト。
姫様のお姿から見るに、どう考えても悠久が一番近い。珍しい色彩をお持ちのようじゃがありえんこともなかろうて」
「……姫様、でございますか?」
ガーラントが違和感なく口ずさんだ"姫"という言葉にブラストが首を傾げる。
「あぁ、その赤子は私の娘として育てる。明日の朝、皆の前で正式に公言するつもりだよ」
『カイとアレスには私の傍で長期的な任務に就いてもらうことにしたんだ』
数時間前に言われた言葉を思い出し、ようやく合点のいくブラスト。
キュリオは身寄りのない赤子を自分の娘として育て、カイとアレスは幼い姫の護衛ということになるのだろう、と。
(……素性の知れない姫君を……カイとアレスが……)
複雑な想いがブラストの胸を騒がせる。
赤子に打ち負かされるようなふたりではないが、カイは些かそそっかしい部分があり、降りかかる危険なシグナルを見落としてしまうかもしれない。
「…………」
「ブラスト、キュリオ様は可愛い弟子を手放せと言われているわけではないんじゃよ。大人ばかりの城の中では姫様もさぞ退屈じゃろうて。時に学び、時に遊び……同じ目線で語れる者をとお考えなのじゃ」
「はい、……承知しております」
ブラストの顔色がすぐれないのを"未熟な弟子に務まるのだろうか?"と、頭を悩ませているのだろうと捉えたガーラントはキュリオの想いを代弁するが、キュリオは違った。
彼が抱く不安は幼い姫を疑う気持ちからだと瞬時に察知していたからだ。
「前にも言ったが、あのふたり以外の適任者はいないと思っている。
そして私がもし聞くとしたら……あとはカイの意志だけだ」
冷酷なまでのキュリオの口調。王の鋭い瞳はブラストを排除することも厭わないと真に告げていた。
――キュリオの言葉で半ば強制的に打ち切られた話し合い。
退出したブラストは弟子を思いやる気持ちと王に対する忠誠のなかで葛藤を続けていた。
(最終決定は明日の早朝……あのカイが断るはずがない)
与えられた大きな使命に俄然やる気をみなぎらせているからだ。
「ブラスト!」
階段を下ろうとした彼の名を年老いた大魔導師が叫んだ。
「……ガーラント殿……」
「ここでは人の目がある。場所を変えて少し話をしよう」
ガーラントが先導し、移動した先はあの壮大な書庫の奥部屋だった。
「これでも飲んで落ち着くのじゃ」
「……申し訳ない……」
ガーラントお手製の渋めのお茶で喉を潤す。
自覚はなかったが、先程の緊迫した空気がすっかり喉をカラカラにさせていたようだ。幾分、肩の力が抜けたブラストの頃合いを見計らって話がはじまる。
「……お主、キュリオ様の命に背くつもりか?」
重々しい口調で口火を切ったガーラント。彼は王の右腕で、キュリオの出した命令には絶対服従の忠実な家臣だ。
しかし、きちんと下々の意見も聞き、その不安を取り除いてやる役割も担う。
「いえ……」
「じゃあなにを迷っておる?」
「……カイはまだ子供です。与えられた任務に浮かれて判断を誤ってしまうのではないかと……」
「キュリオ様は完璧を求めているわけではないのじゃよ。姫様とともに成長し、よき友となれるよう望んでおられる」
「……はい……」
「使者として経験を積んだことはカイの自信となり、剣士としての自覚が芽生えたかもしれん」
「……その通りです。使者としての任務を終えてからのカイは時が経つのも忘れ鍛錬を続けています。かつてないほどに……」
「うむ。信じるべきはキュリオ様とカイじゃ。それにアレスもおる。
キュリオ様はふたりを信頼し、期待されておる。いずれこの悠久を守る双璧になるやもしれん」
壮大にカイとアレスを持ち上げたガーラントだが、誰もがその可能性を秘めている。
任務をこなすばかりが己を上げることにつながるわけではないが、そこには必ず"責任"があり、その人物をひとまわりもふたまわりも成長させてくれるだろう。
「……いや、しかし……」
尚も踏ん切りのつかないブラストにガーラントは追い打ちをかけた。
「師は弟子の成長を見守り助けるものじゃよ。芽を摘んではいかん」
「…………」
(……確かにその通りだ。カイの千載一遇のチャンスを俺が潰してどうする……)
姫君を疑った心を恥じたブラスト。もしかしたら彼女を疑うことで、カイを手元に置いておける方法を模索していただけかもしれない。さらに言うなれば、姫君を疑うということはキュリオを疑うのと同じことになる。
(俺はまだまだキュリオ様への忠誠が足りないっ……なんという無礼を……っ)
(……クソッ!!)
ブラストは腰の剣へと手を添えると、愚かな自分を改めて鍛え直すことを固く誓う。
そして――
「ガーラント殿! お手間取らせて申し訳ない!! おふたりのおっしゃる通りです! このブラスト! カイの師としてその任務、お与えくださったキュリオ様に心より感謝いたします!!」
両ひざに手をつき、ガバッと頭を下げたブラスト。
熱血な彼らしく潔い幕引きだった。
「ふぉっふぉっふぉっ!!
儂も使者としてのアレスを送る際、あやつの身をひどく案じたものじゃ!」
高らかに笑う大魔導師は安堵の色を見せつつも、初めからブラストを信じていた。
彼ならば可愛い弟子のひた向きさを誰よりも買っているはずだからだ。
「いやいやガーラント殿! アレスの心配はいらないでしょう!」
「なにを言っておる! "送り出す勇気"は誰にでも必要なものじゃて!」
「……そうですね。それだけ互いに弟子が可愛いということでしょうなっ!!」
「その通りじゃよっ! ふぉっふぉっふぉっ!!」
「では! 早速カイと話してまいります!」
「うむ! 頼んだぞ!」
「ハッ! 失礼いたします!」
(頑張れよカイ……お前にはお前を支えてくれる人がいることを決して忘れるな……)
完全に吹っ切れたブラストは新たな幕開けに目を細めながらカイのもとへと向かった――。浄化された気の満ちる王の寝室は静寂に満ちていたが、微かな水音が奥の扉から漏れて人の気配を感じさせた。
その巨大な湯殿の一角で幼子を腕に抱いている銀髪の王の名はキュリオ。万能の癒しの魔法を得意とする彼だったが、相対する攻撃魔法や剣術をも極めたその能力は<悠久の王>のみが持つことの許された唯一無二のものである。
悠久のほとんどの民は能力を持たず、稀にみる剣を扱う能力を見出された者は王の従者として仕えることを許された。そしてさらに希少とされるのが魔力を持つ者だった。しかし、その魔力にはかなりの個人差があり、一番容易いとされる己の身だけを治癒することが可能な微弱な力の持ち主が大部分を占める。
最低でも他人をも癒すことができなければ<医術師(イアトロース)>を名乗ることも許されず、病や怪我のすべてを魔法の力で癒すことが可能なこの悠久の国では、人の世界でいう医療技術のようなものは存在していなかった。しかし自然にあふれ、穏やかな悠久では薬草と言われる類いの植物も多く生息し、【雷の国】の民はそれらを求めて国を訪れることがよくある。体の丈夫な彼らが病にかかることは滅多になく重篤な者はいないらしいが、鍛錬での生傷が絶えないというのは種族の特性からわかる気がする。
それらを含め五大国の王が持つ能力の意味を考えれば合点がいくのだが、<悠久の王>の力ですべてが解決してしまうこの国ではガーラントやアレスのように攻撃魔法や癒しの魔法を扱える術者は、広大な砂漠を民に例えてわずかスプーン一杯分ほどの数しかいない。
ここまでくると王の価値がわかってくるが、その長い時間を生きることを義務付けられた彼らは伴侶を持つ選択をした者の話は聞いたことがなかった。その理由は伴侶を得たところで妻となる者の寿命が永らえるわけではないからだ。ではその説明はどこからやってきたのか? と聞かれれば代々王に伝えられている話のひとつとなるのだが、先代の王であるセシエル曰く"この国以外に愛する対象など見つかりはしなかった"らしい。自身もそうなるだろうと信じて疑わなかったキュリオだったが、"娘"としてアオイを受け入れることに迷いはなかった。
銀髪の王は清らかな湯に身を委ねながら柱の合間より覗く月を無表情のまま眺めている。
「ずっとお前の傍にいるにはどうしたらいいのだろうね……」
キュリオとて大事な娘を他人に任せずとも済むのなら頼みはしない。
一秒たりとも離れず、彼女がなにを感じ、なにを見ているのかを共有できる方法があるならば教えて欲しかった。
「きゃはっ」
先程ひと眠りしたアオイは元気に手足をバタつかせている。どうやら己の立てた白波が面白く、興奮しているようだった。目を細めて可愛い仕草を見つめているキュリオは腕の中の赤子へ優しく囁く。
「ふふっ、次は白波のように柔らかなドレスを縫ってもらおうか?」
(それともワンピースがいいだろうか?)
こうして無垢なアオイを見つめていると自然に嫌なことが忘れられる気がした。
「…………」
しかし、すぐにキュリオの嫉妬が勢いを増してせり上がってくる。
「……いや、可愛いお前を他人の目に触れさせる必要がどこにある? 私しか知らない、寝間着がいい……」



