姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】

「おん……みょうじ……?」

 普段は聞くことのない言葉に、ゆらは首をかしげた。

「そうや。陰陽師」

「って、たしか怪しい術を使うんだっけ」

「怪しいわけあるか。むかしむかーしから、ずっと帝を、京をお守りするために受け継がれてきた業やん。それを使わはる旦さん。ほんま素敵やで~」

 鈴はうっとりと目を細めた。

「ふ、ふ~ん」

 ともかく、この猫が旦さんにぞっこんなのはよくわかった。

「それで、鈴ちゃんはどうしてわたしの所に来たの?」

「ほんまボケてんな。ちょっと考えたら、すぐ思いつくはずやで」

「ん~?わかんない」

「考えてへんやろ」

 正座している膝頭をぺしっとたたかれた。

 ふにふにの肉球の感触に、たまらず顔がゆるんでしまう。

「なにを腑抜けた顔してんねん。ほんま緊張感のない娘やな。先が思いやられるわ」

「だって、鈴ちゃんが~」

「まあ、ええわ。へんにびくびくされてもかなわんしな。ふわああ」

 鈴はひとつ大きな欠伸をすると四足で歩き出した。

 猫なのだから四つ足で歩くのは当然なのだが、今まで人の言葉で会話をしていただけに妙な違和感がある。 

「え、ちょっ、鈴ちゃんどこ行くの?」

「どこて、決まってるやろ。うちはもう眠いねん」

「眠い……」

「寝不足は美貌の大敵や。次、旦さんに会うまでに、ほんまに化け猫みたいになってたらあかんやん。しっかり睡
眠は取らな」

「……旦さんは近くにいないの?」

 すると鈴はふんと鼻を鳴らした。

「言うたやろ?旦さんには京で大切なお役目があるって。そうおいそれと東下りなんて出来ひんねん」

「そっか……。って、鈴ちゃん一人で江戸まで、どうやって来たの?」

 今の今まで疑問に思わなかったのか。

 この状況にもすっかり順応してしまっているらしいゆらに、鈴は大きな溜め息をついて見せた。

「ああ、眠い眠い。なんや、いろいろとボケてる娘と話してたら、めっちゃ眠たなってきた」

「鈴ちゃん、ひどい……」

「まあ、そのくらいな方がこれから生きやすうてええかもしれんけど」

「へへへ。そうかな」

「ほめてへん!」

 びしっと言い放ったかと思うと、急に鈴の視線がゆらから外れた。

 暗い天井を見上げている。

「鈴ちゃん……」

 まさか、また物の怪が?

 びくっとしてゆらは天井を振り仰いだ。

「ちゃう。そっちやない」

 今までとは違う低い声で鈴が言った。

「ゆら。あんた、なんも感じひんの」

「なにが?」

「感じんのんかい」

 鈴は深い溜め息をついた。

「しゃあないな。着いて来(き)い」

「え?どこに」

 尋ねる間もなく鈴はぱっと身を翻し、寝所の外へと足を向けた。

「鈴ちゃん、眠いんじゃなかったの?」

「ふん。こんな気配感じて、おめおめ寝てられるか」

 鈴は前足を使って器用に障子を開け、縁に出ると、すたすたと歩いて行ってしまった。

 ゆらは頭に被っていた布を放り出し、慌てて猫のあとを追った。

「鈴ちゃん、どこ行くの?」

 ひそひそと先を行く鈴に声を掛けたが返事がない。

 何度か繰り返しても結局返事はもらえなかったから、話しかけるなということだろうと見切りをつけ、それから
は黙々とあとをついて行った。