清水宗明(むねあき)は、今日も憂鬱だった。明るい日差しの中で、それを厭(いと)うかのように、表情は険(けわ)しい。
 
 彼は今、大奥へと通じる庭を、足早に歩いているところだ。
 
 将軍しか入ることのできない、大奥。そこに何故彼が入ることが出来るのか。そこには、已(や)むに已(や)まれぬ理由があるからなのだが、その元凶ともいうべき場所へ、彼は向っている所だった。

 特別な許可でもって、彼は、彼だけが通ることを許された通用門から大奥へと入る。あまたいる大奥の奥女中たちには目もくれず、彼は歩く速度を緩めることなく奥へと進んで行った。

 宗明は以前、西の丸に住む世継ぎの若君の側に仕(つか)えていた。けれど今は、その若君のお声掛かりもあり、城の問題児の話し合い手兼目付け役を務めている。 男子禁制の大奥で、これは異例のことだった。

 いかにその問題児が、問題児なのかが分かろうというものだ。

 宗明がその問題児に仕えて、この年で二年が経(た)とうとしていた。


 
 その問題児とは。
 
 将軍の一人娘、夕羅(ゆら)姫のこと。
 
 隙あらば姿をくらます姫君に、宗明はずっと振り回されてきた。 三日と空けず、行方知れずになる姫。今日もどこかに消えたらしいという知らせを受けたのは、宗明が床(とこ)を上げた時分だった。

 まだ、夜が明け切らぬ時間帯。

(またか……)

 こういう知らせは何度となく受けてきたから、驚くということはない。 けれどやはり、焦燥感は否めなかった。

 姿だけなら、姫君然として可愛らしいのに、何故、こんなに跳ねっ返りなのだろう。 出会いからして常では考えられない状況であったのだから仕方ないと言えば、仕方ない。幼い時から、そうだったのだ。

 そこで宗明は、少し遠い目になった。

(そう。初めて出会ったのは、まだ自分が元服前で、姫さまは私を可愛らしい声でこう呼ばれたのだ)

「三郎太(さぶろうた)」と。

 これは、宗明の幼名(ようみょう)だった。 兄二人は夭折したため、特に願い出て、彼が清水家の嫡男(ちゃくなん)となる許しを得た。その頃に姫と出会った。

「三郎太」

 宗明となった今も、姫は彼をそう呼ぶ。

「三郎太」

 そうそう。可愛らしい声で、そう呼ばれることは満更でもない。

 宗明が幼い頃の、まだあどけない姫の姿を思い浮かべた時だった。

「三郎太っ!」

 はっとして、周りを見回した。

 今のは、回想ではない……?

「ここよ。ここ。」

「はあああ」

 長い溜め息を一つ吐き出して、宗明は頭を抱えた。

 声の主は。

 彼の姫さまは。

 立ち木の枝に腰掛けて、みたらし団子を頬張っていた。