姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】

 言い終わらないうちに新之助は中庭に飛び降りた。

 植木に身をひそめながら、若党が行き交う周り縁を横目に縁の下に身を滑り込ませる。

 建物の見取り図は頭の中だ。

 主の部屋も特定済み。

 あとは起きていることを把握すればいい。

「おい。風間、お前手馴れてるな」

 こんな時にも軽口を言ってくる久賀がお荷物だったが、新之助はそれを無視して四つん這いで這って行った。

 やがて、頭の上から人の声が聞こえてきた。

 良く聞こえる所まで移動すると男が二人ぼそぼそと話しているようだった。

「案ずるな。クモさまがお守りくださる。すべて、クモさまのご指示に従っておればよいのだ」

「はあ、ですが、ご主人さま」

「今までクモさまの仰るとおりにして間違っていたことがあったか。あの邪魔な稲垣を弑(しい)したのもクモさまのお告げのおかげぞ」

 それを聞いた途端、新之助の頭にかっと血が上った。

 やはり、この男が我が家を、父母を死に追いやったのだ。

 ぎりっと歯噛みし、今にも飛び出しかねない新之助の肩に何かが触れた。

 ばっと振り返れば、久賀の顔。

「大丈夫か」と声には出さず、口の動きだけで言っている。

 新之助の身から急に発された殺気を案じたのだろう。

 新之助はふっと息をつくと小さく頷いた。

 ここで怒りのままに佐伯を殺しても何もならない。

 まだ何一つ掴んではいないのだから。

 今初めて久賀が一緒で良かったのかも知れないと思った。

 それにしても、クモさまとはなんだ?

 新しい信仰か何かだろうか。

 耳をそばだてれば、床の上の会話はまだ続いている。

「しかし、侵入者とは……。用心棒どもを起こした方がよくはありませぬか」

「あれらは、ただのお飾りよ。いずれクモさまに捧げる生贄だ。物の役に立たん雑魚どもよ」

「はあ」

「とにかく娘たちだけは守らねばならん。人を惜しむな」

「は……」

 そこまで聞いて、新之助と久賀は床下を這い出した。

 植木に身を潜ませ、佐伯の話を反芻する。

「え。俺たち、クモさまに喰われんの」

 久賀がようやく頭の回路が繋がったのかそう言った。

「どうやら、そうらしい。でも、そうなら、どうして京行きの話なんて久賀に持ちかけたんだ」

「知らねえよ。そんなの」

「どうも繋がりそうで繋がらん話だ。この屋敷に女などいないのに、娘を守れと言っていたし」

「そうだよ、それだよ!くっそう、独り占めかよ」

「そういうことじゃないだろう」


 クモさま。

 いないはずの娘たち。

 そして生贄にされるという自分たち、用心棒。

「何なんだ、これ」

 いよいよ不穏な空気も最高潮。 

 その時雷が深川のどこかに落ちたのか、ひときわ大きな雷鳴が轟いた。