姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】

 雷が鳴り続ける夜は、不気味で禍々しい気配に満ち満ちていた。

 新之助は形の良い眉をひそめ、ともすればその気配に巻き込まれそうになるのを気迫で押し返そうと試みていた。

「嫌な夜だ」

 そんな時に久賀がぽつりと言った。

「こんな夜にはろくなことが起こらねえ」

「……」

 その時二人は屋敷の者からこれ以上奥に入ることは許さないと言い含められている場所まで来ていた。

 それより先は主人の私的な領域で警備の必要はないと。

 そもそもそこからがおかしい。

 何かの危険に怯え用心棒を多数雇うなら、主が寛ぐ私的な場所をこそ守らせるべきだ。

 それをさせないということは、そこに何か他人には見られたくないモノがあるということではないか。

 新之助はそこに乗り込むことこそ、この内偵の最終目的だろうと心に決めていた。

「なあ、風間」

 久賀は表と奥の境界線のような所でずっと立ち尽くしている。

「この屋敷、少しおかしいと思わないか」

「……」

「これだけの規模の屋敷にしては人がいない。それに女の気配が一つもしねえ」

「女?」

「女中の一人や二人はどこの屋敷にだっているはずだろう?」

「藩邸の台所なら若党がすることもあるだろう」

「それにしたって、だ。こんな男所帯なんだ。酒の酌をしてくれる可愛い娘が一人くらいいてくれたっていいだろう」

 久賀は嘆かわしそうにかぶりを振った。

 そんなことか。

 新之助は呆れて、ひそめていた眉を今度はまっすぐに伸ばしてしまった。

「まあ、それは冗談だが」

「冗談かよ」

「それでも、おかしい……」

 それは久賀の動物的な勘なのかも知れなかった。

「この境界を跨いだ瞬間斬られたりして」

 ははと渇いた笑いを漏らした久賀に、新之助は頷いた。

「ありえないことでもないだろう」

「そうだな」

 久賀のような男ですら、この屋敷の中の不穏な空気に気付くのだ。

 それは隠そうとしても隠せないものなのかも知れない。

「おい」

 その時新之助が短く言って久賀の袖を引っ張った。

 二人は物陰に身を隠すような形になった。

「どうした」

「しっ」

 渡り廊下の向こう。中庭を隔てた先の周り縁を数人の若党が小走りに走って行くのが見えた。

 行ったかと思うと、また戻ってくる。

 心なし顔が引きつって見えるのは気のせいではないだろう。

 何か不測の事態が起きたと考えてよさそうだ。

「あいつらに手を貸そうか」

「堂々と奥向きには入れんだろう。あくまでも忍びやかに、だ」