きょろきょろとあたりを見回すと、花屋の前では男が女に送る花を物色し、きれいな飴細工の前で愛を語っている姿がすでに祭りで浮かれているように見えるのだった。
「祭りの起源のお話があります。その昔神殿で鬼を使役し、不老長寿の薬を作らせていたそうなのですが、鬼は神殿にいた朱色の目をしたウサギと仲良くなり、ウサギとともに月に登っていき二度と帰ってこなかったそうです。だから、月ではウサギと鬼が仲よく餅をついているといわれるでしょう?」
確かに屋敷で貞女に、月の中にはウサギと鬼が餅をついていると教えてもらったことがあるが、俺には月に灰色の模様にしか見えなかった覚えがある。
「だからこんな風に白い玉のついた数珠や白い団子を作って供え民は月に祈るのです。我々に薬をください、と。それが秋月祭りの概要です。」
3つの団子が連なり、炭の傍で焼かれて、茶色いたれをつけて売られている店先を指さした。
「薬とは人々の切実な願いなのだな。」
「そうですね。我々は不老長寿の薬は作れませんが、それに近いものを作っていると自負しています。薬で病を治すことは、その人の未来に希望の光をともす。老人でも子供でもそれは変わらないのです。」
真昼様はその店から自然なしぐさで白い団子が3つに連なった串を2つ買い、一つを私にわたす。
腹が減って仕方なく
「ありがとう」
受け取って早々に盛大にかぶりつく。
すると口いっぱいに柑橘類の香りのする甘辛い味が広がり、餅の中には砕いた木の実が入っていて香ばしく初めて食べるおいしさに、口の奥がきゅっとなった。
「おいしいな。」
真昼様に顔を向けるとちょうど団子から出る湯気で眼鏡を曇らせたらしく眼鏡を外していた。
真昼様は眼鏡を外しても見目麗しい。
行き交う人々もちらちらと真昼様をみている。
「それにしても真昼様は博学だ。」
「すべて書物で得た知識です。朱夏様の山の知識にはかないません。さぁ、食べたら神殿へ急ぎましょう。」
喧騒の中にある神殿は大きく俺たちの前に立ちはだかっていた。
***
神殿には馬から荷を下ろす荷卸し場があり、馬が水を飲めるような水受けが置かれていた。
馬の鞍に括り付けていた薬の荷を下ろすと馬も身軽になったように鼻面を俺の背中に擦り付ける。
「よく頑張ってくれたな。えらいぞ。」
俺はその鼻面を優しくなでて、水受けの近くの井戸から水をたくさん汲んでやる。
干し草もいくらでも食べていいように俺の肩の高さに干し草置き場が置かれている。
馬たちは俺と真昼様が水を汲んでいる間に慣れているように、干し草も食べていた。
「王都は水も豊かで子供も走り回って、市場も活気がある。良いところだな。」
俺が草を食む馬の背をなでた。
「・・・・えぇ。」
言葉少ない真昼様のことが気にかかったが、馬掛けが疲れたのかもしれないなと思っていた。
「では、少し重いですがこの荷をもって神殿へ入りましょう。神殿に入ってからはしゃべってはいけない領域があります。ですのでこれを耳にかけて。真昼様はこれをつけたら話してはいけません。私の後ろを歩き、私の仕草のまねをしてください。」
口元を隠すため布きれについた紐を耳にかける。
布切れには×の印がかかれていた。
「これでいいか?しゃべるとどうなる?」
「魂を抜かれる、月に連れて行かれる、そんなことを言われています。」
言い終わった真昼様に向きなおると、もう布きれを装着し、俺に荷物をもつよううなずくだけだった。
神殿は遠くからでも真っ白に感じるほどだったが、近くで見るとつるりとした質感の石だった。
こんなに美しい石を集めるのは大変だっただろう。
王都には金が余るほどにあるようだ。
神殿の階段を薬の荷をもって上がりきるのは息が切れ、重い薬につまずきそうになるが口をひきむすぶ。
何か祟りでもあるのではないかと気が気ではなかったからだ。
真昼様と2人無言で登りきると大きな柱2本に支えられた門にたどり着く。同じように口元に×の印のついた布切れをつけた数組の者たちが米や酒、塩、果物を供物としてをもってあがっており、同じように無言で門をくぐる。
供物を捧げる者は列を作り、祭壇へ向かう。
その列に加わり、無言でついていくと一組ずつ小さな扉に吸い込まれる。俺たちが入る番となり、その扉をくぐると突如として白いウサギの像が現れる。
高い天井から俺たちをのぞき込むように作られた大きなウサギが大きな赤い目は俺の手のひらほどの大きさで今にも動き出しそうな精緻なつくりに腰を抜かしそうになるがなんとか荷物を落とさずに済んだ。
真昼様と話すことができないのでよくわからないがどうやらこの神殿ではウサギが神として祭られているようだった。ウサギの前に祭壇がありすでに白い団子や米がそなえてあり、白酒の花も四隅に飾られている。
信仰めいたことを気にしたこともなかったが、神が本当にいるのかもしれないと思わせる風情だった。
部屋のそこかしこで焚かれている妙なお香の香りもその風情に拍車をかける。
真昼様は抱えてきた薬を祭壇において一歩後ろに下がって地べたに座り、掌を天に向けた後、額とともに地につけることを3回繰り返し、最後に「ウサギと鬼がともにあらんことを」と祝詞をつげて祭壇の横の扉にむかって歩き出す。
俺も真昼様がしたその通り、行う。
三回目に地に額をつき、祝詞を告げようとしたとき頭上に大きな者の気配がした。ずしんとした雰囲気。恐ろしさで顔が上げられない。
「お前は…ウサギではないか。どうしてここへ?」
けして耳で聞いたわけではないと思う。
頭に響くまだ幼いようにも思う甲高い子供の言葉に、何者か?などという愚問を口に出す気はない。苦しい態勢で首元にじわり、汗をかくような感覚を覚え、お香でくらくらするため、質問に答えることもできない。
「お前は薬屋が身請けしたはずだが…」
首の左右にそっと白い柔らかな触感をかんじた。悲鳴をあげるのも我慢して口をひきむすぶ。真昼様がいっていた「魂を抜かれる、月に連れて行かれる」という言葉が頭の中で繰り返された。大人が子供に言い聞かせるような嘘ではない。俺の感覚がそういっている。
「苦労する運命は変わらないようだな。」
哀れんでいるのか、笑っているのか、俺の記憶を首筋からよみとったようだ。その声から察するに、そして俺の記憶はどうやら、声の主の機嫌を損ねたわけではないらしい。
「薬屋の男に会いたいなら神殿の北にある古井戸に来るのだ。」
頭で響く声はずしんとした雰囲気や首に触れた感覚とともに消えていった。
見上げるがあんな固そうな像が俺のところまで折れ曲がったり、伸びたり、膨張したりしないだろう。
薬屋の男?
父上のことだろうか。
俺は素早く体を起こし、「ウサギと鬼がともにあらんことを」と早口で祝詞をあげて、焦燥感に突き動かされ、祭壇の横の扉から転がりでるように辞した。
心配そうな真昼様が待っていてくれたことにほっとしてくずれおちる。
真昼様が口元の布きれを無言で俺の背中に腕を回し抱きしめる。
「…う、うさぎが」
真昼様はひざを折り、俺に目線を会わせ、子供にするよう頭に手のひらを乗せ、よしよしとさする。
「大丈夫です。朱夏様は悪くないのです。あの香は幻惑をみせるのです。朝陽兄上が着物に焚きしめている香と同じもので、人を洗脳する時に使うのです。」
真昼様も経験があるのかもしれない。そのままがたがた震える俺を落ち着かせるようにまた抱きしめられる。
「大丈夫です。」
真昼様の落ち着いた声がなぜか不快に感じ袂につかみかかる。
前の真昼様は明らかに戸惑い、哀れんだ目で俺をみる。
「幻惑などではない!本当にウサギが、薬屋の男は北の井戸にいるって。」
信じていないのだ。
「もうよい!俺は父上を探す!」
俺は乾いた声を出して、真昼様を突き飛ばし、あの声の主がいう古井戸を探すためその小部屋から外に通じるであろう扉を目指した。
ちょうど扉が開き、神官の服をゆったりと羽織り、眠たげな太った男が入ってくる。
「皆本の者よ。供物は確かにうけとった。報酬はここに」
太った男は書類を見ながら入ってきており、俺はそのすぐ隣を通り過ぎて扉が閉まる前に通過する。
太った男はまさか人が隣を通り過ぎたとも気づいていないような無関心ぶりだったが真昼様はちがった。
「しゅ、朱夏さま…!」
真昼様の焦る声に後ろ髪引かれながらも、俺はウサギの言ったとおり神殿の北を目指した。
父上がいるのかもしれない。
そうかんがえると、居てもたってもいられなかった。
※※
神殿を出て北を目指す。
そこは山から王都を望んだときは砂漠が広がっているように見えた場所だった。
恐ろしさを振り払うように北に歩を進めると緩やかな崖が目の前に広がり、下におりた、というより転がり落ちた、といった方が正しかっただろう。
転がり落ち、何かにぶつかって俺の体は回転をやめた。
何かにぶつかった衝撃と砂埃でしばらく目が開けられなかったが、頭をあげ、砂埃が収まるとそこには着物というにはあまりにボロボロで肌の露出した性別のわからない二人の子供が俺の方を数歩先から眺めている。
背中に木の棒を渡し、その両端には桶がかけられている。
無言の二人の視線の先を振り返ると、どうやらそこが井戸らしく、俺は二人のじゃまになっているようだった。
「わ、悪い」
一応二人に向けて言ったのだが、聞こえてないのか、聞こえていて喋らないのか、言葉が通じないのか、二人のうち背の高いほうが無言で井戸の桶に手をかける。
その無気力な様子を目の端に映し、辺りを見回す。
どうやら俺は大人5人分ほど下に転がり落ちたらしい。
転がり落ちてきた崖には見える限り巨大な自然の洞窟が数個あり、その中で人が生活している様子が垣間見える。
煮炊きしている様子もあるが子供は色が白く皆痩せており、洞窟の外にいる大人は手や足がないものも多く筵に倒れこんでいる。
犬は痩せこけ、馬はすわりこんでいる。
ここは本当に王都と地続きなのだろうか。
何もかもが生き生きとしていた都の裏側にこんな死の世界が広がっているなんて、誰が想像するだろう。
そんな中ひとりの男が桶や箱を持ってひときわ小さな洞窟に入っていくのが見えた。
あの男を探し求めていると思ったわけではなかった。
ただ、生きて動いているものに寄っていってしまう生命の本能が働いたのだ。
意外だったが洞窟の中は電灯がついてほの明るい。
その電灯は机の上に設置されて男を照らしていた。
そばには寝具と思われる木枠もある。
「あなたは…ここで何をしている?」
男に後ろから話しかける。
男はこのあたりでは珍しく黒い布でできた着物を着ていた。頭髪や身なりに不潔さも感じない。
すると洞窟の奥からウサギの声がした。
「その男、お主の音が聞こえぬ。お主と口がきけぬ。お主が見えぬ。」
実際、声はしていないだろう。頭の中で鳴り響く音を声とは呼ばない。
ならばなぜ奥から声が聞こえると思うのだろう…?
黒衣の男はこの場に不相応なほど光沢のある絹の寝具の前に座り、手に持っていた桶と箱をおいた。
なぜ?
そう思ってぎょっとした。
その寝具には心もとない蝋燭の明かりの中、目以外の体中、包帯を巻いて朱色の目がぎょろりとこちらを向く。
直感した。
この子供が声の主だ。
「祭りの起源のお話があります。その昔神殿で鬼を使役し、不老長寿の薬を作らせていたそうなのですが、鬼は神殿にいた朱色の目をしたウサギと仲良くなり、ウサギとともに月に登っていき二度と帰ってこなかったそうです。だから、月ではウサギと鬼が仲よく餅をついているといわれるでしょう?」
確かに屋敷で貞女に、月の中にはウサギと鬼が餅をついていると教えてもらったことがあるが、俺には月に灰色の模様にしか見えなかった覚えがある。
「だからこんな風に白い玉のついた数珠や白い団子を作って供え民は月に祈るのです。我々に薬をください、と。それが秋月祭りの概要です。」
3つの団子が連なり、炭の傍で焼かれて、茶色いたれをつけて売られている店先を指さした。
「薬とは人々の切実な願いなのだな。」
「そうですね。我々は不老長寿の薬は作れませんが、それに近いものを作っていると自負しています。薬で病を治すことは、その人の未来に希望の光をともす。老人でも子供でもそれは変わらないのです。」
真昼様はその店から自然なしぐさで白い団子が3つに連なった串を2つ買い、一つを私にわたす。
腹が減って仕方なく
「ありがとう」
受け取って早々に盛大にかぶりつく。
すると口いっぱいに柑橘類の香りのする甘辛い味が広がり、餅の中には砕いた木の実が入っていて香ばしく初めて食べるおいしさに、口の奥がきゅっとなった。
「おいしいな。」
真昼様に顔を向けるとちょうど団子から出る湯気で眼鏡を曇らせたらしく眼鏡を外していた。
真昼様は眼鏡を外しても見目麗しい。
行き交う人々もちらちらと真昼様をみている。
「それにしても真昼様は博学だ。」
「すべて書物で得た知識です。朱夏様の山の知識にはかないません。さぁ、食べたら神殿へ急ぎましょう。」
喧騒の中にある神殿は大きく俺たちの前に立ちはだかっていた。
***
神殿には馬から荷を下ろす荷卸し場があり、馬が水を飲めるような水受けが置かれていた。
馬の鞍に括り付けていた薬の荷を下ろすと馬も身軽になったように鼻面を俺の背中に擦り付ける。
「よく頑張ってくれたな。えらいぞ。」
俺はその鼻面を優しくなでて、水受けの近くの井戸から水をたくさん汲んでやる。
干し草もいくらでも食べていいように俺の肩の高さに干し草置き場が置かれている。
馬たちは俺と真昼様が水を汲んでいる間に慣れているように、干し草も食べていた。
「王都は水も豊かで子供も走り回って、市場も活気がある。良いところだな。」
俺が草を食む馬の背をなでた。
「・・・・えぇ。」
言葉少ない真昼様のことが気にかかったが、馬掛けが疲れたのかもしれないなと思っていた。
「では、少し重いですがこの荷をもって神殿へ入りましょう。神殿に入ってからはしゃべってはいけない領域があります。ですのでこれを耳にかけて。真昼様はこれをつけたら話してはいけません。私の後ろを歩き、私の仕草のまねをしてください。」
口元を隠すため布きれについた紐を耳にかける。
布切れには×の印がかかれていた。
「これでいいか?しゃべるとどうなる?」
「魂を抜かれる、月に連れて行かれる、そんなことを言われています。」
言い終わった真昼様に向きなおると、もう布きれを装着し、俺に荷物をもつよううなずくだけだった。
神殿は遠くからでも真っ白に感じるほどだったが、近くで見るとつるりとした質感の石だった。
こんなに美しい石を集めるのは大変だっただろう。
王都には金が余るほどにあるようだ。
神殿の階段を薬の荷をもって上がりきるのは息が切れ、重い薬につまずきそうになるが口をひきむすぶ。
何か祟りでもあるのではないかと気が気ではなかったからだ。
真昼様と2人無言で登りきると大きな柱2本に支えられた門にたどり着く。同じように口元に×の印のついた布切れをつけた数組の者たちが米や酒、塩、果物を供物としてをもってあがっており、同じように無言で門をくぐる。
供物を捧げる者は列を作り、祭壇へ向かう。
その列に加わり、無言でついていくと一組ずつ小さな扉に吸い込まれる。俺たちが入る番となり、その扉をくぐると突如として白いウサギの像が現れる。
高い天井から俺たちをのぞき込むように作られた大きなウサギが大きな赤い目は俺の手のひらほどの大きさで今にも動き出しそうな精緻なつくりに腰を抜かしそうになるがなんとか荷物を落とさずに済んだ。
真昼様と話すことができないのでよくわからないがどうやらこの神殿ではウサギが神として祭られているようだった。ウサギの前に祭壇がありすでに白い団子や米がそなえてあり、白酒の花も四隅に飾られている。
信仰めいたことを気にしたこともなかったが、神が本当にいるのかもしれないと思わせる風情だった。
部屋のそこかしこで焚かれている妙なお香の香りもその風情に拍車をかける。
真昼様は抱えてきた薬を祭壇において一歩後ろに下がって地べたに座り、掌を天に向けた後、額とともに地につけることを3回繰り返し、最後に「ウサギと鬼がともにあらんことを」と祝詞をつげて祭壇の横の扉にむかって歩き出す。
俺も真昼様がしたその通り、行う。
三回目に地に額をつき、祝詞を告げようとしたとき頭上に大きな者の気配がした。ずしんとした雰囲気。恐ろしさで顔が上げられない。
「お前は…ウサギではないか。どうしてここへ?」
けして耳で聞いたわけではないと思う。
頭に響くまだ幼いようにも思う甲高い子供の言葉に、何者か?などという愚問を口に出す気はない。苦しい態勢で首元にじわり、汗をかくような感覚を覚え、お香でくらくらするため、質問に答えることもできない。
「お前は薬屋が身請けしたはずだが…」
首の左右にそっと白い柔らかな触感をかんじた。悲鳴をあげるのも我慢して口をひきむすぶ。真昼様がいっていた「魂を抜かれる、月に連れて行かれる」という言葉が頭の中で繰り返された。大人が子供に言い聞かせるような嘘ではない。俺の感覚がそういっている。
「苦労する運命は変わらないようだな。」
哀れんでいるのか、笑っているのか、俺の記憶を首筋からよみとったようだ。その声から察するに、そして俺の記憶はどうやら、声の主の機嫌を損ねたわけではないらしい。
「薬屋の男に会いたいなら神殿の北にある古井戸に来るのだ。」
頭で響く声はずしんとした雰囲気や首に触れた感覚とともに消えていった。
見上げるがあんな固そうな像が俺のところまで折れ曲がったり、伸びたり、膨張したりしないだろう。
薬屋の男?
父上のことだろうか。
俺は素早く体を起こし、「ウサギと鬼がともにあらんことを」と早口で祝詞をあげて、焦燥感に突き動かされ、祭壇の横の扉から転がりでるように辞した。
心配そうな真昼様が待っていてくれたことにほっとしてくずれおちる。
真昼様が口元の布きれを無言で俺の背中に腕を回し抱きしめる。
「…う、うさぎが」
真昼様はひざを折り、俺に目線を会わせ、子供にするよう頭に手のひらを乗せ、よしよしとさする。
「大丈夫です。朱夏様は悪くないのです。あの香は幻惑をみせるのです。朝陽兄上が着物に焚きしめている香と同じもので、人を洗脳する時に使うのです。」
真昼様も経験があるのかもしれない。そのままがたがた震える俺を落ち着かせるようにまた抱きしめられる。
「大丈夫です。」
真昼様の落ち着いた声がなぜか不快に感じ袂につかみかかる。
前の真昼様は明らかに戸惑い、哀れんだ目で俺をみる。
「幻惑などではない!本当にウサギが、薬屋の男は北の井戸にいるって。」
信じていないのだ。
「もうよい!俺は父上を探す!」
俺は乾いた声を出して、真昼様を突き飛ばし、あの声の主がいう古井戸を探すためその小部屋から外に通じるであろう扉を目指した。
ちょうど扉が開き、神官の服をゆったりと羽織り、眠たげな太った男が入ってくる。
「皆本の者よ。供物は確かにうけとった。報酬はここに」
太った男は書類を見ながら入ってきており、俺はそのすぐ隣を通り過ぎて扉が閉まる前に通過する。
太った男はまさか人が隣を通り過ぎたとも気づいていないような無関心ぶりだったが真昼様はちがった。
「しゅ、朱夏さま…!」
真昼様の焦る声に後ろ髪引かれながらも、俺はウサギの言ったとおり神殿の北を目指した。
父上がいるのかもしれない。
そうかんがえると、居てもたってもいられなかった。
※※
神殿を出て北を目指す。
そこは山から王都を望んだときは砂漠が広がっているように見えた場所だった。
恐ろしさを振り払うように北に歩を進めると緩やかな崖が目の前に広がり、下におりた、というより転がり落ちた、といった方が正しかっただろう。
転がり落ち、何かにぶつかって俺の体は回転をやめた。
何かにぶつかった衝撃と砂埃でしばらく目が開けられなかったが、頭をあげ、砂埃が収まるとそこには着物というにはあまりにボロボロで肌の露出した性別のわからない二人の子供が俺の方を数歩先から眺めている。
背中に木の棒を渡し、その両端には桶がかけられている。
無言の二人の視線の先を振り返ると、どうやらそこが井戸らしく、俺は二人のじゃまになっているようだった。
「わ、悪い」
一応二人に向けて言ったのだが、聞こえてないのか、聞こえていて喋らないのか、言葉が通じないのか、二人のうち背の高いほうが無言で井戸の桶に手をかける。
その無気力な様子を目の端に映し、辺りを見回す。
どうやら俺は大人5人分ほど下に転がり落ちたらしい。
転がり落ちてきた崖には見える限り巨大な自然の洞窟が数個あり、その中で人が生活している様子が垣間見える。
煮炊きしている様子もあるが子供は色が白く皆痩せており、洞窟の外にいる大人は手や足がないものも多く筵に倒れこんでいる。
犬は痩せこけ、馬はすわりこんでいる。
ここは本当に王都と地続きなのだろうか。
何もかもが生き生きとしていた都の裏側にこんな死の世界が広がっているなんて、誰が想像するだろう。
そんな中ひとりの男が桶や箱を持ってひときわ小さな洞窟に入っていくのが見えた。
あの男を探し求めていると思ったわけではなかった。
ただ、生きて動いているものに寄っていってしまう生命の本能が働いたのだ。
意外だったが洞窟の中は電灯がついてほの明るい。
その電灯は机の上に設置されて男を照らしていた。
そばには寝具と思われる木枠もある。
「あなたは…ここで何をしている?」
男に後ろから話しかける。
男はこのあたりでは珍しく黒い布でできた着物を着ていた。頭髪や身なりに不潔さも感じない。
すると洞窟の奥からウサギの声がした。
「その男、お主の音が聞こえぬ。お主と口がきけぬ。お主が見えぬ。」
実際、声はしていないだろう。頭の中で鳴り響く音を声とは呼ばない。
ならばなぜ奥から声が聞こえると思うのだろう…?
黒衣の男はこの場に不相応なほど光沢のある絹の寝具の前に座り、手に持っていた桶と箱をおいた。
なぜ?
そう思ってぎょっとした。
その寝具には心もとない蝋燭の明かりの中、目以外の体中、包帯を巻いて朱色の目がぎょろりとこちらを向く。
直感した。
この子供が声の主だ。
