詩月は、ヴァイオリン教室の片隅で生徒を指導する母の声を聞き、腱鞘炎で傷めた指、演奏家としては弾けなくなった母親の音色を聴いていた。



弾きたいと願いながら、おもうように弾けない母親の心の叫びと涙を感じながら、上手く弾きたいとかは頭になく、母親の喜ぶ顔、笑顔が見たくて、詩月はヴァイオリンを弾き始めた。
それが原点だった。




母親は学生時代、ヴァイオリンコンクールの最終選考にまで進んだほどの実力者だった。



これからという時に夢を絶たれた。



大学卒業後。

母親は、大学の先輩でもあり、ピアニストとしての活躍が、少しずつ軌道に乗り始めた詩月の父親、周桜宗月の激励と助言もあり、ヴァイオリン教室を始めた。



彼女は、厳しい練習や難度の高い技巧曲の演奏で指を痛めた経験からか、詩月にはヴァイオリンのことで厳しい言葉をかけたことは1度もない。