黒塗りのスタンウェイ、グランドピアノの上で、白い猫はむくりと立ち上がり思い切り伸びをし、ちらっと詩月を一瞥し甘えた声で「ミャウ~」と鳴いた。

詩月はその仕草に顔をほころばせ、冷めかけた紅茶をいっきに飲み干し、席を立ちヴァイオリンケースに手をかけた。

店内に居合わせた幾人かの学生達が、「おやっ」と言う顔で詩月を見つめる。

詩月がヴァイオリンの調弦を素早く済ませ、ピアノの方に向き直る。

背筋を伸ばし、さっと深い茶色のボディをした輝く光沢の楽器に弓を構えると、一瞬で凛とした表情に変わった。

自宅でヴァイオリン教室をしている母親が、まだ演奏家を目指していた時に弾いていた、イタリア製のオールドヴァイオリンだ。

詩月が演奏を始めると、ピアノの上に伸びきっていた白い猫が詩月の方へ顔を向けた。

「チャイコフスキーか~」

 カウンターの中で珈琲を淹れながら、マスターが呟く。

マスターは何かを思い出すように詩月を見つめ、「この曲は……彼が好んで彼女のために弾いていた……」ポツリ、言葉を漏らす。

 ノスタルジックで穏やかな優しい調べが、店内を包み込む。