思いの丈をもて余し、感情の高ぶるまま、ピアノを弾いた。



 あの頃――。

僕はショパンが苦手だった。


ヨーロッパ、特にウィーンを拠点に演奏活動をしている父「周桜宗月」の得意なショパン。



ショパンを弾くたび、父の弾くショパンが、耳を離れなかった。



自分自身の演奏を見失い、自分のショパンが父のショパンと見分けがつかぬほど酷似していくことにさえ、指摘されなければ、気付かなかった。




周桜宗月Jr.と口さがない演奏者や評論家、学生や教師に持て囃されたり酷評されたりする日々の中で、悶々と自分の演奏を模索していた。



越えようとして越えられぬ父の背中を見つめながら、親子でなかったならと、どれほど思ったかしれない。