目を覚ましてから1週間くらいで体力が徐々に戻りつつあった。



私は目が覚めてから2日でリハビリをしたかったが、紘輝先生のお許しが出なかった。


説得して説得し続けてやっと許可を貰えたのだ。



それからは必死だった。



先輩が学校にいる間にリハビリをして、先輩が来る時間になったら部屋に戻る。



そんな暮らしを1ヶ月で続け、やっと退院できるようになった。


紘輝先生は無茶のし過ぎだと言われたが、正直私は焦っていた。


碧琉先輩は今年度で卒業。


折角生きられたのに、先輩と学校に行けないなんて嫌だった。


退院翌日、学校へ登校する許可もリハビリ同様お願いし続けた。



今回は中々お許しが貰えなかった。



それでも私は諦めなかった。



最後は子供みたいに駄々をこねて頼んだ。



いくつかの条件と引き替えに。



一つ、無理や無茶をしないこと。


一つ、運動は絶対にしないこと。


一つ、ヤバイと思ったら絶対に紘輝先生に電話すること。


一つ、発作を起こしたり倒れでもしたら紘輝先生の判断で今後のことを決めること。


つまり、碧琉先輩とスクールライフは送れないってことだ。



そんなことになってしまったら私は無理してまで復学した意味がない。



紘輝先生の条件をしっかりと頭に焼き付け、私は退院した。