まだ町田さんは生きてる。手術をしているってことは生きているはず。そんな演技のないことを考えてしまう自分が、怖くなる。そんなはずはない。

 では、生霊、とかになるんだろうか。

 どっちにしても現実離れしすぎている。ありえない。

 そもそも本当に町田さんだったのか。お父さんのことを思い出して、雅人の苦しんでいる表情とかあの場の空気とかに、ちょっとわたしの頭がおかしくなっていたのだろう。幻覚を見てしまったに違いない。

 うん、きっとそうだ。

 そう自分に言い聞かせたけれど、もしかして、が拭えない。だってわたしの目にははっきりと見えたのだ。

 瞼を閉じれば、鮮明に思い出せる。

 泣いている雅人を、抱きしめる町田さんの姿。彼女も泣いていた。きれいな顔をぐしゃぐしゃにして。だけどとても美しく。

 あの子も、雅人が泣いていたら悲しいんだろうか。わたしが雅人の寂しい顔を見ているのがつらいように。彼女が口にしていた『ごめんね』は、心配させてしまってごめん、という意味だろうか。

 あの子のことは好きになれない。今も、嫌いだと思う。でも、だからって死んでほしいだなんてことは微塵も思わない。無事でいて欲しいと心から願っている。

 もしも、もしも死んでしまったら、なにも残らない。生きている人だけが取り残されてしまうということを、わたしは知っている。

 死んだ人間の思い出に幸せを感じたところで、それがもう二度と手に入らない虚しさを抱く。言いたい文句があったとてそれを告げることもできない。自分で消化するしかない。

 時間をかけて、なんとか折り合いをつけて生きていく。
 突然の事故なら、なおさらだ。

 わたしは、雅人にそんな思いをしてほしくない。だから、雅人のために、無事であって欲しいと思っている。
 純粋な気持ちで町田さんの心配をしていないわたしは、やっぱり性格が悪いのだろう。でも、わたしにとっては雅人のほうが大事なのだ。どうしたってそこに行き着く。

 どうか、雅人が笑っていてくれますように。