薄っすらと目を開けると、バラが見えた。

 アイアンフェンスに絡まった蔦に、いくつものバラの花がホコホコとついている。

 アキラは深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。

「つっ…」

 ベンチに座ったまま寝ていたせいで、首が痛い。



 ラベンダー荘は夕方になっていた。

 まだ頭の中で少年が歌う声が、かすかに流れている。

 そのせいか、なんとなく視界が夢の中の公園と重なる。

 寝違えて熱くなった首をさすっていた手を、ベンチに下ろすと何かが手に触れた。


 そうだった…オルゴール、聞いてたんだ。


 アキラは蓋が開いたままのオルゴールを見下ろした。

 卵の殻を材料にして作られた繊細で華やかなエッグアートオルゴール。

 その中で、長い笛を口に当てたままの男の子の人形が不自然な格好で止まっている。

 アキラは、蓋をゆっくりと閉める。



 記憶がないと気づいた日、あたしが覚えていた唯一の言葉が『アキラ』だった。

 だから安直に、それが自分の名前だと思い込んだ。

「アキラはあたしの弟の名前だったのか」

 アキラはふと視線に気づいて顔を横に向けた。

「かおり?」

 かおりはアキラを見て微笑んでいた。

「風邪引くから起こしにきたの」

 ラベンダー荘を卒業して、ここにいるはずのないかおり。

 まだ夢でも見てるのだろうか。

「かおり、あたしの名前アキラじゃなかったみたいだ」

 かおりは、苦笑するアキラのとなりに腰を下ろす。