みず色

 父の命日は生憎の雨となってしまった。私と母は、父が眠る墓地へと、紺色の傘をさしながら向かう。
 父との思い出は、親子で描く夏休みの思い出コンクールに出す絵を一緒に描いた思い出が一番心に残っている。
 父の膝の上に座り、父と一緒に筆を持って、青い海と、白い雲、水色の空を描いた。私は父に、ある質問をしたことを今でも鮮明に覚えている。これはきっと、父と私しか知らない、二人だけの内緒の質問だ。
 「お父さん、来ましたよ。ほら、サユミも立派になったでしょう。」
 そう言って母は線香に火を付け、暗い表情の空から落ちる水滴で濡らさないように父の墓石へたむけた。
 「お母さん…」
 母は慌てたように顔をそらし、手提げかばんの中に入れてあったお酒とタバコ、小さく切った画用紙と、筆と絵の具を置いた。その中から一枚、写真が落ちた。母が、落ちたそれを拾い、私にみせた。
 「若いころのお父さんよ、かっこいいでしょう。お父さんは背が高くてね、お母さんがすっぽり入っちゃうくらい大きかったんだよ。」
 先輩と同じだ。背が高くて、私がすっぽり入ってしまう。先輩…、どうしてるかな。…また、会えるかな…。
 次の日、昨日までの雨が嘘だったかのような空が私を見下ろしている。この席から見える景色は変わらず、丘の緑、雲の白、空の青とが、やっぱり退屈な授業の間の息抜きになる。
 景色を見ながら思うことは、やっぱり先輩のことだった。今日も会えるのかなと、いろいろ考えてしまって、授業など聞いていない私がいる。こんなことも…初めてだ。
 やっと授業が終わり、待ちにまった放課後。私はすぐに職員室に向かう。職員室に向かう足取りが、心なしか軽い。今日も先輩に会える、そう信じていた私がいた。でもその期待は、直ぐに裏切られてしまった。もし先輩が居るとしたら、美術室の鍵は先輩が持っていて職員室にはないはずなのだ。でも、今日はあったのだ。
 きみどり色の鈴は私の気持ちなど関係なしに音を奏でる。なんだか今日は鈴の音が鬱陶しく聞こえる。ふと外に目をやると、薄暗く厚い雲が、私を包みこもうとしていた。
 「傘…持ってきてないや…。」
 下校時刻になっても雨は降りやまず、結局私はずぶ濡れになりながら家路についた。途中で頬を熱い水滴が流れていくのがわかった。それが流れるたびに、心が締め付けられるような、呼吸しづらい様な感覚が私を襲った。
 「サユミ…サユミ…。起きて…サユミ…。」
 男の人の声で、私の名前を呼ぶ声が聞こえる。お父さんに似ているような、先輩に似ているような声で、私を呼ぶ声が聞こえる。
 その声の方に進もうとするけど、足がふらついて歩けない。頭が重たいような、目がまわるような感覚のなか、その声のする方へ歩く。
 「サユミ…。お父さんの机の右側…。開けてごらん…。」
 机の右側…。たしかそこには…。
 「サユミ…!起きてサユミ…!」
 母の声で私は目覚めた。母の隣には白衣を着た医師の姿がある。雨の中歩いてきたせいで風を引いたのだと、あとから説明を受けて状況を理解した。
 「お母さん…。お父さんの机の…。右側の引き出し…。」
 そういうと、母は父の机の中から、水色の小瓶と、数枚の写真を持ってきた。意識がもうろうとする中、その写真を見ると、先輩に似た、若いころの父の写真だった。それだけ確認して、私は再び深い眠りについてしまった。
 体調も回復した後日、水色の小瓶の中身を確認した。…先輩と同じ香りのする香水だった。
私はその日の放課後、先輩が居る事を祈りながら、職員室へ急いだ。
 「佐々木さん、今日は鍵が無いわよー?」
 青木先生のその声で、私は覚悟を決めた。
 急いで階段を駆け上がる。階段の壁を、傾いた夕日がオレンジ色に染めている。思うようにからだが動かない。まだくらくらする気がする。それでも、先輩に会いたいから…。お父さんに会いたいから…。
 案の定、美術室の扉は開いている。呼吸を整えてから、美術室に入る。
 木製の扉がギーという音を立てながら開いた。カーテンは結ばれ、窓は開いている。
もう怖くない。あなたが誰であろうと怖くない。会いたい。会いたいの。
 部屋に入り、息を整える。頭の中で何度も何度も練習する。
 窓から入る風に、私の思いをたくして。