「じゃあ、君は展覧会のためにここで絵を描きに来たってことだね?君の絵、見せてよ。」
 男の人に絵を見せてと言われた事がとても新鮮で、少し戸惑ってしまった。
 「い、いいですよっ。」
 美術倉庫に向かい、絵を出そうとする。先輩が寝ていたせいか、いつも低い位置に置いてあった私の絵が、棚の少し高いところへ置かれてしまっている。
 「あ…。」
 これでは出せない。どうしよう。先輩に取ってくださいなんて言えない。先輩の方をちらちら見る事しかできない私に、先輩が気付いた。
 「ああ、さっきの絵、君のか。取ってあげる。」
 狭い美術倉庫の中に、先輩が入ってくる。
 「あっ、ちょ…。」
 「どれだ…?」
 私の消え入りそうな声はもちろん先輩には聞こえていないらしい。私は先輩の胸の中にすっぽりと収まってしまった。
 顔が熱い。こんな顔見られたくない。心臓が破裂しそうなくらいドキドキしている。
 「これか?」
 顔を上げられない私は、目でキャンバスを確認した。先輩が持つととても小さく見えるが、私の描いた絵に違いない。
 「…それです。」
 「ごめんごめん。苦しかっただろ。」
 先輩は笑いながら、絵を持つと直ぐに美術倉庫を出た。
 「こ、ここ整理しますのでっ!」
 赤く火照った顔を見られたくないための、とっさの一言だった。
 美術倉庫内は良い香りがする。でも、同じ香りのする人物を知っている気がした。こんな、どこか懐かしい経験は、初めてだった。
 しばらくして倉庫を出ると、先輩が私の絵を興味深そうに見ているのが目にとまった。
 「君、すごいね。」
 私の絵を見て、先輩が一言いった。
 「あ、ありがとうございます。」
 先輩はその後も私の絵を見ながら、配色や立体にみせるコツなどを私に教えてくれた。
 「あの…。一つ聞いてもいいですか…?」
 「うん?いいよ。」
 「先輩には、絵の知識があるようですが…。美術に関わる事を何かやってなさったんですか?」
 先輩はにこっと笑い、私の頭をなでた。
 「えっ…。」
 「それは秘密。帰ろっか。」
 気付けば日はすっかり沈み、街の明かりがポツポツと付き始めていた。
 鍵を閉め、職員室に向かう。途中で先輩は忘れ物があるといって別れた。先輩を校門のわきで待っていたが、いつまでたっても来ない。先生に見つかって怒られているのか、などを考えていた。
 ふいに、私には思いだした事があった。誕生日プレゼントに父からもらった私の筆のことだ。なぜ今思い出したのかは分からないけど、急に触りたくなった。
 父は交通事故で亡くなった。私の出展した作品がある会場へ行く途中、赤信号を無視した車と接触し、亡くなった。父は私にプレゼントしてくれた筆と同じデザインのものを持っていたらしい。事故後、それが見つかる事はなかったという。誰かが現場から持ち去ったか、そのままバラバラになってしまったのか、未だに分からない。
 もうすぐ父の命日だ。夕暮れの冷たい風にのり、どこからかあの香りが漂ってくる、そんな気がした。