その昔。
津山の松平氏が鬼を切る刀を所蔵していたらしいんだ。
源頼光が、大江山に棲んでいた酒呑童子を退治した時に用いた名刀だって。
名を何と言ったか……忘れちゃったけど。
鬼は元来、人の心に宿るもの。
『人が恐ろしいと思うのは鬼だけれど、目に見えないとなると、それは鬼という名前だけ。
実に恐ろしいのは、ただ人である』。
これは密教の阿闍梨(高徳の僧)が言った言葉。
この世に生きる全ての人は、心に陽と陰を容しているっていうよ。
光と影、表と裏。
それらが均衡を保ち、人という個を形成しているっていう考え方。
だけどさ……。
その均衡が破られれば、恨みや憎しみ妬み嫉み、そういった心の陰が人を鬼へと変えるそうだよ。
阿闍梨が言うには、「人の心に巣食う鬼を斬ることができるのは、人の心の刀に他ならない」らしい。
人の心だけが、その陰を見抜き照らすことができるんだって。
なるほど……って、思わない!?
津山の松平氏が鬼を切る刀を所蔵していたらしいんだ。
源頼光が、大江山に棲んでいた酒呑童子を退治した時に用いた名刀だって。
名を何と言ったか……忘れちゃったけど。
鬼は元来、人の心に宿るもの。
『人が恐ろしいと思うのは鬼だけれど、目に見えないとなると、それは鬼という名前だけ。
実に恐ろしいのは、ただ人である』。
これは密教の阿闍梨(高徳の僧)が言った言葉。
この世に生きる全ての人は、心に陽と陰を容しているっていうよ。
光と影、表と裏。
それらが均衡を保ち、人という個を形成しているっていう考え方。
だけどさ……。
その均衡が破られれば、恨みや憎しみ妬み嫉み、そういった心の陰が人を鬼へと変えるそうだよ。
阿闍梨が言うには、「人の心に巣食う鬼を斬ることができるのは、人の心の刀に他ならない」らしい。
人の心だけが、その陰を見抜き照らすことができるんだって。
なるほど……って、思わない!?