「お客さん、だいじょうぶか? あの男になんかされたのかい?」

 車を走らせながら運転手のおじさんが心配そうな声で聞いてきた。
 私は顔を両手で覆ったまま、首を横に振るだけ。

「このまま警察行くかい? ああいう男はな、黙ってたらつけあがる一方なんだぞ? オレにも年頃の娘がいるから、ひでえ男は許せねえんだよ」

 ひどい男……? 違う。そうじゃないの。
 晃さんは、どんなふうに思ったろう。
 お酒に付き合って、素直に肩を抱かれて、甘える仕草で、しな垂れかかるようにして。
 なのにいざ、キスしようとすると悲鳴を上げて押し退けて逃げ出すなんて。
 これじゃどう見たって、私の方がよっぽどひどい女だ。

 不意にバッグの中のスマホが振動した。きっと晃さんだ。
 どんなに驚いて心配してくれていることだろう。
 申し訳ない気持ちが込み上げるけれど、電話に出る勇気はさらさらなかった。

 それでもスマホは鳴り続け、まるで晃さんに名前を呼ばれ続けているようで、私の心は激しく動揺した。
 やがて諦めたのか振動音が止まって、ホッと息を吐く。
 そして同時に涙がじわりと滲んできた。

 手を差し伸べてもらったのに、その手を自分で振り払ってしまった。
 なんでこんな事になってしまうんだろう。
 せっかく勇気を振り絞ったのに、私の勇気なんて、鉄仮面コンプレックスの前ではゴミみたいなものなの?
 なにをしても無意味で、全く太刀打ちできない。
 まるでお姉ちゃんと私の力関係みたいだ。

 しきりに警察行きを勧める運転手さんのタクシーに揺られ、自宅に着いた。
 丁寧にお礼を言って料金を払い、ただいまも言わずに家の中に入る。
 そしてまっすぐ自分の部屋へ駈け込んで……メイクも落とさず、声を上げて私は泣いた。