多くを語れる人はそれを讃え

素晴らしいと言う。


でもそれは多くを語れる人なりの訴えでもある。


なら、多くを語れないその他の人はどうだろう


あたしは違うと言う。


迷うより今が大事。





それが答えじゃないか。











「なら、お前は何を語ると言うのだ......」




誰かがあたしに聞いた。




「何にも語らない、かな」


「なら、何故ここにいるのだ。」


「苦しくて、耐えられなかったから、かな」

「答えなんて見つけてないじゃ無いか。」


「そうかもね、でも答えなんていらないんじゃない?」



「ほほぅ、お前は答えなんて要らないのか....なら聞くが、答えあるならば、なんとも押すか答えてみよ。」



「答え、ね.............今は変えられない

これだけよ」





「なら未来は帰られるんじゃな?」



「それは、人より努力すればよ...」



「なら、なぜ頑張ろうとしないのだ。なんの努力もしてないお前は死ぬ資格さえないのだ。」


「十分生きたわよ。死ぬなんて人の勝手だわ。」


「なら、最後にチャンスをやろう。
もう一度生きるのじゃ。それでも限界になるならば、もう一度死ねばいい。だが、ここの空間の記憶だけは一時的に忘れさせるのが条件だ。いいな??」


「変えられない...か、わかったわ。変えてみる、無理ならここに来るわあなた面白いもの」


「なら、契約成立。ふはは、おれがおもしろい...か、なら俺の過去も聴くか?」



「そうね、聞くだけの価値ならありそうね。」






「よく聞けよ、そしてよく理解しろよ..!」



と男は言ったまま語り出した。