この時、天皇になりかわり歌を奏上する宮廷歌人の立場にあった額田姫王は、斉明天皇に乞われ筑紫への百済救済の戦旅にも参加した。
当時の歌人は祈りを歌に託し、言の葉を献上する役目も担っていたらしい。
5歳の娘を残し、船出での出兵に反対を唱えた天武天皇は、参加を許されなかったという。
万葉集(巻1ー8)
熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
「大意」
熟田津で、船出をしようと月の出るのを待っていると、月も出、潮の具合もよくなった。
さあ、今こそ漕ぎ出そう。
この歌は九州、筑紫へ向かう途中。
斉明7年(661)1月。
熟田津(今の愛媛県松山市)に滞在し、次の航海のタイミングを図っていた時、
戦地に赴く決意表明と戦意鼓舞のため、総指揮官である斉明天皇になりきり、
歌い上げた歌と言われる。
当時の歌人は祈りを歌に託し、言の葉を献上する役目も担っていたらしい。
5歳の娘を残し、船出での出兵に反対を唱えた天武天皇は、参加を許されなかったという。
万葉集(巻1ー8)
熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
「大意」
熟田津で、船出をしようと月の出るのを待っていると、月も出、潮の具合もよくなった。
さあ、今こそ漕ぎ出そう。
この歌は九州、筑紫へ向かう途中。
斉明7年(661)1月。
熟田津(今の愛媛県松山市)に滞在し、次の航海のタイミングを図っていた時、
戦地に赴く決意表明と戦意鼓舞のため、総指揮官である斉明天皇になりきり、
歌い上げた歌と言われる。



