「いや……数年前に、この曲をヴァイオリンで聴いた……」



言いかけて紳士は、演奏者をまじまじと見つめた。



穏やかに、満足げに紳士は微かに口角を上げる。



「ずいぶん大人びた……あの時はまだ、背丈も俺の胸辺りまでしか」


フッと短く溜め息をつく。


「彼をご存知で?」



「ああ……彼には借りがある」


ゆっくりと、珈琲を口に運ぶ。



「借りが……ですか?」


マスターが訊ねる。



「あれは……」


紳士は静かに語り始めた。



夜の帳が下りた歓楽街。

それを少しそれた……が、数人の足音が追ってくる。


騒々しい声から、なんとか離れようと忙しく路地裏に入った。



「しくったな……」


そう呟き、俺は荒い呼吸を押し殺し、壁を背に向け膝をかがめた。