第五の妃は、瑞雲殿(ずいうんでん)の女御・章子(しょうし)である。
兼頼の次男で、康子の父・兼時の異母弟にあたる中納言・兼正の娘である。
『並びなき最高の妃』と讃えられた康子亡き後、目下のところ最有力の妃とされている。
章子の生んだ七の皇子・奥津宮(おきつのみや)は、沙霧宮には及ばないながらも、家柄、教養ともに何の問題ない。
気性は多少荒いところもあったが、政治への関心も強く、どこか政(まつりごと)に疎く消極的な沙霧宮に比べると、『これぞ治世者になるべき覇気ある皇子だ』と推す声も強かった。
章子は、奥津宮の姉・夕鶴宮(ゆうづるのみや)と、妹・雁音宮(かりがねのみや)という二人の皇女も生んでいる。
第六の妃は、八の皇子・堀河宮(ほりかわのみや)と九の皇子・松帆宮(まつほのみや)、そして内親王の朝露宮(あさつゆのみや)を生んだ葛子(くずこ)である。
荻原氏の一門の出ではあるが、現在主流となっている兼頼の一門から遠く離れた血筋であり、後見の勢力は弱かった。
飛涼殿からは隔たった緑風殿(りょくふうでん)を与えられている。
この妃もあまり子には恵まれず、第一子の堀河宮は生後すぐに死去し、第二子の松帆宮は存命ではあるものの幼い頃の熱病により耳と足に不自由が残っていた。
兼頼の次男で、康子の父・兼時の異母弟にあたる中納言・兼正の娘である。
『並びなき最高の妃』と讃えられた康子亡き後、目下のところ最有力の妃とされている。
章子の生んだ七の皇子・奥津宮(おきつのみや)は、沙霧宮には及ばないながらも、家柄、教養ともに何の問題ない。
気性は多少荒いところもあったが、政治への関心も強く、どこか政(まつりごと)に疎く消極的な沙霧宮に比べると、『これぞ治世者になるべき覇気ある皇子だ』と推す声も強かった。
章子は、奥津宮の姉・夕鶴宮(ゆうづるのみや)と、妹・雁音宮(かりがねのみや)という二人の皇女も生んでいる。
第六の妃は、八の皇子・堀河宮(ほりかわのみや)と九の皇子・松帆宮(まつほのみや)、そして内親王の朝露宮(あさつゆのみや)を生んだ葛子(くずこ)である。
荻原氏の一門の出ではあるが、現在主流となっている兼頼の一門から遠く離れた血筋であり、後見の勢力は弱かった。
飛涼殿からは隔たった緑風殿(りょくふうでん)を与えられている。
この妃もあまり子には恵まれず、第一子の堀河宮は生後すぐに死去し、第二子の松帆宮は存命ではあるものの幼い頃の熱病により耳と足に不自由が残っていた。



