第二の妻である玉寿殿(ぎょくじゅでん)の女御・維子(いし)は、荻原氏に次ぐ実力者である宇野氏の首長の娘である。
中宮遼子のすぐ後に入内し、帝の二の皇子・秋葉宮(あきばのみや)を生んだ。
しかし秋葉宮も生後五年で病死した。
維子には他の皇子は生まれず、荻原氏の家から出た妃たちに囲まれた後宮では居場所もなく、息を潜めて目立たぬように日々を送っている。
第三の妻・菊音は、何十年も前に没落した貴族の娘であった。
本来ならば妃として入内するはずではなかったのだが、帝が御幸(みゆき)の際に見初めた娘で、美しい容姿をことのほか気に入り、周囲の反対を押し切って入内させた。
菊音はたった二度だけご寝所に召され、二人の皇子を身ごもった。
四の皇子・軽部宮(かるべのみや)と、六の皇子・軽戸宮(かるどのみや)である。
これらの皇子は、身分の低い母から生まれたものとして、有って無きがごとき扱いを受けていた。
また、菊音自身も、見目こそ麗しいもののやはり教養がなく、ほとんど白痴に近い娘であったため、北東の外れにある栗壺(くりつぼ)に追いやられていた。
中宮遼子のすぐ後に入内し、帝の二の皇子・秋葉宮(あきばのみや)を生んだ。
しかし秋葉宮も生後五年で病死した。
維子には他の皇子は生まれず、荻原氏の家から出た妃たちに囲まれた後宮では居場所もなく、息を潜めて目立たぬように日々を送っている。
第三の妻・菊音は、何十年も前に没落した貴族の娘であった。
本来ならば妃として入内するはずではなかったのだが、帝が御幸(みゆき)の際に見初めた娘で、美しい容姿をことのほか気に入り、周囲の反対を押し切って入内させた。
菊音はたった二度だけご寝所に召され、二人の皇子を身ごもった。
四の皇子・軽部宮(かるべのみや)と、六の皇子・軽戸宮(かるどのみや)である。
これらの皇子は、身分の低い母から生まれたものとして、有って無きがごとき扱いを受けていた。
また、菊音自身も、見目こそ麗しいもののやはり教養がなく、ほとんど白痴に近い娘であったため、北東の外れにある栗壺(くりつぼ)に追いやられていた。



