しばらく悩んでいた先生。

でも、私のアパートにつくと、先生は階段を上りはじめた。



「来てくれるの?」


「ああ。ご近所さんとしてな。」


「わーい!歩、喜びます!」


「弟想いなんだな、お前。」



先生を連れて玄関から入る。



「ただいま!」


「おかえり、莉子姉!……あっ!跡部先生だっ!」



嬉しそうに走ってくる歩。



「おう。君が歩くんか。何年生?」


「5年!」


「しっかりしてるな、歩は。」



はっとした。

先生は、いつもなら絶対に見せないような笑顔を、歩に惜しげもなくこぼしていたんだ。

その笑顔を見ているだけで、私の胸はなぜだかじんわりと温かくなった。

そして、歩も本当に嬉しそうで。



「跡部、何ていうの?」


「あ?……光春だよ。」


「みつはる?じゃあみっちゃんだね!」



無邪気な歩に、私は思わず吹き出してしまう。



「みっちゃん!」


「何だ、歩。」



年の離れた兄弟みたいに、ふたりはすぐに打ち解けた。

男同士、っていうのが、何だか少し羨ましい。



「お茶、どうぞ。」


「ありがとう、新庄。」



歩だって新庄なのに。

私のことを頑なに新庄と呼ぶ先生が、先生らしくて笑ってしまう。



「みっちゃん、野球教えて!」


「野球?歩は野球が好きなのか。」


「今学校ではやってるんだけどね、僕、得意じゃないんだ。だから、教えて!」


「ああ。いいぞ。ボールはある?」


「えっとね、学校で貸してもらえるから……学校いこっ!」


「学校?おい、小学校ってどこにあるんだ?」


「あっち!」



窓を開け放って、歩が指差す。

小学校までは、歩くと30分くらいかかる。



「あー、あれか。遠いなー。歩、それはまた今度にしよう。もうすぐ日が暮れるから。」


「……うん。」



ごめんね、歩。

私、知らなかった。

歩が野球をしたかっただなんて。

それも、学校にあるボールやバットを借りてまで。



「歩、ここでも教えてやれることあるぞ。」


「え?」


「ほら、バットを構えるときの姿勢。やってみろ。」


「こう?」


「違うよ。こっちの足を前に出して――――」



熱心に、歩に野球を教えてくれる先生。

こういうところ、本当に根っからの先生だなって思う。


歩の嬉しそうな顔を見ていると、私まで幸せな気分になった。



「先生、夕飯もここで食べてって。」


「いいのか?」


「うん。大したメニューじゃないけどね。」



先生と歩のためにご飯を作るとき。

見切り品だらけの食材さえ、輝いて見える気がした。