「耳、弱いんだな」

「うっ……」



また耳元で囁かれて思わず呻く。近い近い近い!こんなことするなんて思ってなかった!

先輩に抱き締められたときやキスされたときとは違う感じ……恥ずかしくて、逃げたくて……

でも、なぜか嫌じゃない。むしろ、おもしろい。

この先どうなっちゃうのか想像もつないけど、決して悪いことは起こらないと確信できる……安心感。

それを、ヤト君の手のひらから感じ取ることができる。



「……そろそろだ」



ヤト君はそう言うと、私の目から手のひらを離した。熱が離れてスースーするけど、ひゅ~ん……という音と、ドーンっ!という音で目を見開いた。

それは、打ち上げ花火!



「なんで?!」

「兄貴たちが下から打ってる。俺はおまえを屋上に連れて来るのが役目だ。上から見た方が打ち上げ花火は綺麗だって言われたから」

「あはは!」



私は口を開けて花火を見上げた。打ち上げ花火なんて初めて見た!こんなにも大きくて、綺麗で、明るくて、楽しいものだなんて!

夜空に浮かぶ星たちと火花がかぶって見える。校庭を覗くと、大の大人がはしゃいでいるのが見えた。そう言えば……さっきお酒を少し飲んでいたような……

もしかして、酔ってる?



「あれ、もしかして酔ってる?」

「かもな……兄貴わりと弱いから」

「だから爆竹なんてばら蒔いたのかな」

「さあな。もともと俺はここに連れて来るように言われてた……ま、下のことは気にするな」



ドーン!ドーン!と何発も大輪の花を咲かせる花火。赤、緑、黄色……カラフルな円が夜空を飾る。

隣に立っているヤト君をちらっと見れば、バチっと目が会った。えっ!と思って慌てて花火に目を移す。

その瞳が、やけに優しかったから……また鼓動が跳ねた。今日のヤト君は心臓に悪い。いつもと違う……


でも、そう言えばヤト君のいつもって何?


ポーカーフェイスの彼?意地悪そうな笑みを私に向けている彼?それとも少し強引な彼?

ヤト君って、どんな人?時々紳士的な一面もあるし……よくわからない。


そこで……ハッと気づく。ヤト君のことを知りたいと思っている自分に。

もっと近くに行きたい、彼を知りたい、何を考えているのか知りたい……


ヤト君に、もっと近づきたい。


ヤト君にとって、私は何?ソウル君は親友だって言ってた。じゃあ、私は……私の立ち位置は……?


悶々と考えていたら、隣からヤト君に手をそっと握られた。ビクッとして驚いて見上げると、さっきとはうって変わって真顔の彼がいた。男らしい顔つきに目を逸らしたくなったけど、できなかった。

真摯な瞳に、私が映る。



「何を、考えてた……?」

「何って……」

「俺は、おまえのことを考えてた」

「え?」



ヤト君は私から目を離して、まだ上がっている花火にまた視線を戻した。シャープな顎のラインが目に飛び込んできて私も前を向く。

喉仏が作り出した影が、印象的だった。



「ずっとな……おまえを護るように命を受けてから、ずっと考えていたんだ」

「命……?」

「知らなかったか?スリザーク家の力が及ばない学校でもおまえを護れるように、俺にその命が授けられた。産まれたときから、ずっとな……」

「……知らなかった。じゃあ、私の正体を最初からヤト君は知ってたんだね」

「まあな……ここまで深刻な問題だとは思ってなかったけどな」

「私だってビックリだよ」



そう……驚いたんだ。私にはとても重い問題。それを抱えていたのに、今まで何も知らなかったなんて笑える。滑稽だね……他人は知ってたのに、本人は蚊帳の外。中心にいなくちゃいけなかったのに、除外されてた。

それは私を想ってのことだとは知ってるけど……私が背負うべき重荷を、誰かが背負っていたなんて申し訳なさすぎる。



「自分を、責めるなよ」

「え……」

「俺は、おまえを救いたい」



私を、救う?一体、何から……



「おまえはわかっていないが、見るからに老けた」

「なっ!」

「勘違いするな。顔が暗いっつってんだ。もっと笑えよ」

「笑ってるよ……」

「悪い、付け足す。心から、笑えよ」

「心から……」



心から、笑う……心から泣いたことはあるけど、心から笑ったことなんてあったかな……あったかもしれないけど、覚えてないや。

誰かといても、自分とは違うという引け目。それを、いつも心の中に潜めていた。それが、私の笑顔をくすませていたのかな。


私の顔がどんどんと下がるから、ヤト君は舌打ちをした。そして、私の顎を指で掬って上に向かせる。真っ直ぐな彼の瞳とかち合った。

彼の、少し青みがかった瞳に……吸い込まれそうだ。今は夜だから、闇がそこにあるみたいで目を逸らせない。



「バーカ。深く考えるもんじゃない」

「でも……」

「何も、考えるな……俺だけを見ろ」

「……?!」



ヤト君の言葉に驚いて声を上げようとしたら、出せなかった。口を柔らかいもので塞がれ、息が止まる。近すぎてピントの合わないヤト君の端正な顔……それがふっと離れたときには、私は膝から崩れ落ちていた。

でも、ヤト君の逞しいけど優しい腕に抱き止められる。

いっきにヤト君が近くなって、心臓がパニック状態だ。この心音が彼に聞こえていないかと恥ずかしくなる。


彼の顔がすぐ横にあるから表情は見えないけど、ちらっと髪から覗く耳は心なしか赤く見えた。

……もしかして、照れてるの?!



「ヤ、ヤト君?!」

「ちょっと黙れ……緊張したんだから」

「緊張って……なんで……」

「……いいか?今から重要なこと言うぞ」

「な、何?」



ヤト君ははあ……と大きなため息を吐いた後、尻餅をついている私をさらに強く抱き締めた。

……ううっ。どうすればいいんだろ。抱き締め返すのもなあ……

私がピキーンと固まっていると、ヤト君がゆっくりと言葉を紡いだ。



「俺は、おまえが……好きだ。ミク」

「す……き……」

「会ってから、常におまえが頭から離れない。先輩にとられやしないかといつも心配だった……おまえしか、見えてなかった」



好き。好き……好き?!

驚きすぎて声が出ない。ヤト君も黙ってしまったし、どうすればいいのか……

ただ、わかることは……嬉しいってこと。ヤト君が私をどう思ってるかわかった。嫌いじゃないってことがわかった。

それだけで、十分だ。キスには、驚いたけど。



「ありがとう……」

「……意味、わかってるか?」

「嫌われてないんでしょ?」

「はあ……まったく。いいか?よく聞けよ」



ヤト君は呆れたようにため息を吐いた。

な、何?解釈間違ってる?

心配になっていると、ヤト君は私を立たせた。そして、私と顔を会わせて告げた。



「俺は、おまえに恋してる」



ヤト君はそのときだけ堂々と言ってきたけど、言ったとたんくるりと背中を向けてしまった。口に手を当てて僅かに肩を揺らしている。

……恋してる。ヤト君が、私に……

もしや、これは告白?告白なの?!


私はかああ……と顔を赤くさせた。頬に手を当ててさっきの言葉をリフレインする。


恋してる……好きだ。


好きだ……それは、ヤト君だけ感じていること?よーく考えてよ私。

普通、こんなところで二人きりになるか?嫌だったら逃げるよね。うん。

あと、男子の写真を部屋に貼るか?普通貰わないよね。

つまり……?つまり、だ。


私も彼が、好きなのかな……?


試しに彼の背中に手を添えて、頬を寄せた。防寒着を着てるから心臓の音は聞こえない……けど、何かを感じる。ヤト君の中の奥底に眠っている何かが、私を誘い込む。

それは、とても懐かしく、恋い焦がれ……やっと会えた、と嬉しくなった。私の奥底からも何かが沸き上がり、想いが溢れる。

この感じ……知ってる。温かくて、大きくて、不器用で……とても、悲しかった結末。


後悔もした。でも、いつもあの人のことを想っていた日々。忘れた日はなかった。いつも願ってた。

また、会えたら……って。


胸が無性に熱くなる。カノンの想いと交差する。

彼が、ここにいる。彼ではなくなったけど、きちんとそこにいるんだね。

ね……カノン。あなたも嬉しいんでしょう?あなたはカイルと結ばれた。あなたは彼を選んだから。

じゃあ、私はもう一人の彼を選んでもいいよね。カイルが、譲ってるみたいだったから……


蒼い光ではなく、赤い光を手にしてもいいよね……?


私は待ち望んでいた背中をそっと抱き締めた。彼から、離れたくない。もう、離してほしくない。

先に逝ってしまって寂しかったけど……ちゃんと戻ってしてきてくれた。

ケヴィは、ここにいる。



「……っ」



私は知らない内に涙を流していた。でも、これは嬉し涙だ。再会に身体も心も喜んでいる。

ヤト君の背中に顔を埋めて、静かに泣いた。ヤト君はじっとしていてくれた。私の背中に腕を回して、撫でてくれる。



「はあ……俺が昂ってどうすんだよ」



彼はそう呟くと、くるりと私と向き合った。彼がはにかみながら私の涙を拭ってくれた。

その瞳が、私を見つめる。



「風邪、ひくぞ」

「大、丈夫……」

「なんかわかんないけど、先輩から聞いた。俺たち昔は三角関係だったんだな」

「そう、だね」

「今は、両想い……でいいのか?俺の勘違い?」

「ううん……当たってる」

「そうか、よかった」



ヤト君はふんわりと笑って私をきつく抱き締めた。愛しさがさらに溢れる。

何年もの間、空白だった溝が今埋められた。

私は今までになく嬉しかった。こんなにも満たされたことはない。


彼の片腕をそっと外し、指を絡め合った。お互いにきゅっと握る。そこから熱と共に力が流れてくるようだった。

力がみなぎって……どこかに吸い込まれていく。急に不安になった。


……やだ、ダメ……捕らないで。私たちの流れを横取りしないで。


私は不安になって、ヤト君に訴えた。



「力が……龍に流されてる」

「……お出ましか?」

「ううん、まだ……明日か明後日だと思う。うっ……眠い、よ……ヤト……く……ん」



私はそこで意識を手離した。私の身体はしっかりと支えられる。



「……悪いな。休んでくれ。そのときが来ても、俺が護ってやるから」



そう言って、彼は私の瞼に口づけを落とした。その表情は今までになく真剣で、凛々しかった───