「夕帆」
「んー?」
せっかく行こうと席を立ったのに、扉の前でがっつり呼び止められた。
くるりと返事をして振り返れば、さっきまでパソコンを見ていた真剣な瞳は幾分か緩んで、視線が絡む。
「……お前が遠慮する必要なんかないだろ」
「遠慮なんかしてねーよ。
俺が、こうするって決めただけだから」
「夕帆」
いつみがやたらと俺の名前を呼ぶ時は、真剣な話の時だ。
だから俺の口調も素にもどるけど、俺はこのやりとりを長く続けたくない。本気で言い合ったって、俺が言い負かされるから。
「んじゃ、
いくみ姉待たせたら怖いし行ってくるわ」
「……、ああ」
「いつみ。
お前自分の姉ちゃんに会いたくないとか、実は思春期に入っただけのシスコンだろ?」
「二度と帰ってこなくていい」
返事を聞いて、ケラケラと笑ってから廊下に出る。
嘘みたいな部屋から出た、この学校じゃ普通の廊下。誰もいないそこを歩いて、自然とこぼれたため息は予想以上に重く響く。
「『遠慮』、な」
別に、誰かに遠慮したわけじゃない。
ただ。好きになった人と、俺が釣り合わなかっただけ。──本当に、ただ、それだけだ。