この日、イデアーレ王国の王子、キアーロ・ディ・ルーナは、怒り狂っていた。

 けれども。

 彼が、地獄の底に燃える烈火のごとく怒っていることに気づく者は、ほとんどいなかった。

 幼い時から、叩き込まれたイデアーレ王国の帝王学。

 君主たるもの、めったに感情を表に出してはいけない、という一節を忠実に守ることが、キアーロの義務であり。

 それを本人も納得した上。

 今日も実行していたからである。

 だから、キアーロがどんなに怒っていても。

 彼の人形のように整った顔が、激昂して歪むことは無かったし。

 イデアーレ特産の蒼みがかった最高級の黒絹に、勝るとも及ばない。

 さらさらとした髪が、感情の荒波に震えて乱れることもなかった。

 成人少し手前の彼が、次代の王を継ぐべく、毎日取り行われる勉学も。

 大陸全土を襲う、最近の食糧危機により、少しでも肥沃な大地を確保するために。

 特に難しくなってきた、隣国リベルタ国との外交問題を、貴族と討議する場面においても。

 常に、冷静で、完璧な受け答えをしていたから。

 本当は、叔父に当たるキアーロの義理の父であり、イデアーレ王国の現王も彼の心を読み取ることはできず。

 彼の感情を唯一映している漆黒の瞳が、怒りに燃えたぎっているのを理解したのは。

 長年、キアーロの侍従長を勤めている四十半ばになるマウロと。

 最近彼が気まぐれに飼いだした、黒く小さな猫ぐらいなものだった。