わっ……!
「宗ちゃんのお家、かっこいいね……!」
廊下を抜けると、モノトーンで統一されたリビングが視界に入った。
ソファや棚などの家具は主に黒。壁紙は白。
シンプルで大人っぽい雰囲気に、私は目を輝かせた。
宗ちゃんの実家の部屋も、シックでかっこいいけど……1人暮らしの部屋は、なんだか、大人の男の人が住む部屋って感じだ。
「ね、他の部屋も見ていーい?」
「……どうぞ」
はしゃいでいる私を、呆れた表情で見ている宗ちゃん。
ふふっ、今の私は機嫌がいいから、なんとも思わないもんっ……!
まるで展示物を見て回るように、お家の中を歩く。
「キッチンも広いね……! でも、宗ちゃん料理できないんじゃ……」
「人並みに自炊はしてるよ」
そ、そうなんだ……。
なんだか、ちょっと寂しいな……。
知らない宗ちゃんが、また増えたみたい……。
……って、今は一緒にいるんだから、後ろ向きにならない……!
頰をぺちっと軽く叩いて、お部屋探索を続行する。
リビングを見終わり、廊下に出た。
「ここの部屋は?」
廊下を出てすぐの場所に、扉が1つ。
勉強スペースか何かかな……?
「寝室だよ。ベッドしかないからここは入らなくてもいいでしょ?」
え……?
見られたくないのか、嫌そうな表情をしている宗ちゃん。
「入る……!」
「っ、こら」
私は迷わずそう答え、止めようとする宗ちゃんを無視して扉を開けた。
だって、宗ちゃんが眠ってるところも、気になるんだもんっ……。
部屋に入ると、思わず「わっ」という声が零れた。
「な、なんだか、ダンディーな感じ……」
ベッドだけが置かれた部屋。
黒を基調としたその空間は、落ち着いた雰囲気で、薄暗いライトが上品さを際立てていた。
子供っぽい私の部屋とは、比べ物にならないや。
「ダンディーな感じって何?」
宗ちゃんが、おかしそうにふっと笑う。
わ、笑わなくてもいいのに……。それにしても……。
「ベッド大きいね……!」
1人で眠るには広すぎる、ダブルサイズほどの大きさ。
「俺、寝相悪いからね」
私も知っている情報が出てきて、思わず嬉しくなる。
宗ちゃんは、お上品な雰囲気からは想像がつかないくらい寝相が悪い。
昔、一緒に眠ったことがあるけど、起きたときに下敷きになっていることが何度かあった。
最後に一緒に寝たのは、もう5年前くらいだけど。
少しだけいたずら心が湧いて、ベッドにダイブする。
反発性があるタイプではないらしく、ぼふんっと沈み込んだ。
「わぁっ、ふかふか」
寝心地、すごくいいっ……!
「こら藍。寝転ばない」
ごろごろとベッドの上で移動している私を見て、宗ちゃんが「降りなさい」と言ってくる。
私は香る匂いを辿るように、布団に顔を埋めた。
「ふふっ、宗ちゃんの匂い……」
大好きな、シトラスの香り。
「……っ」
宗ちゃんの、ごくりと息を呑む音が聞こえた。
「……俺の匂いって何? 変な匂いする?」
え?
宗ちゃんの質問に、首を横に振る。
変な匂いなわけないのに。
「んーん……大好きな匂い」
笑顔でそう言えば、宗ちゃんはなぜだか大きく目を見開いた。
そのあと、すぐに私から目を背けるように、こちらに背中を向ける。
「……藍、もう満足したでしょ? 帰るよ」
「え……もう?」
勢いよく身体を起こし、ベッドに座った状態で宗ちゃんの背中を見つめた。
「見たら帰るって約束だったでしょ?」
そう言われて、返す言葉が出てこない。
「う……はい……」
確かに約束したけど……宗ちゃんの近くにいると、欲張りになってしまう。
「でも、もう少しだけ……」
もう少し、もうちょっとだけ……と、願ってしまうわがままな自分。
「ダメ」
私の願いは虚しくも、ばっさりと拒否された。
はぁ……。
ため息をついた私に、宗ちゃんが手を伸ばしてくる。
「ほら、帰るよ。送ってあげるから」
……え?
「本当に……!?」
宗ちゃんの言葉に、私はパアッと瞳を輝かせた。
「うん。今日だけ特別。これからは急に来ても、構ってあげられないからね」
私の手を握って、ベッドから起こした宗ちゃん。
私はその手を握り返し、宗ちゃんに抱きついた。
「やったぁ……!」
宗ちゃんの身体がびくりと跳ねた気がしたけど、きっと気のせい。
気にせず、スリスリと頰を寄せる。
「何? 車乗りたかったの?」
喜んでいる私を見ながら、宗ちゃんは疑問を浮かべた顔をしてそう言った。
「ううん……宗ちゃんと少しでも長くいられるから、嬉しいのっ」
喜んでいる理由を伝えて、さらにぎゅうっと抱きつく。
「……はいはい」
頭上から降ってきた声は、呆れたような返事だったけど、そんなこと気にならないくらい今の私は上機嫌だった。
私にとって宗ちゃんといられる時間は、何よりも貴重なんだもんっ……!
1分1秒でも、長くそばにいたいって思う。
ほんとにほんとに、大好きっ……。
宗ちゃんの車は、大学の合格祝いにご両親からもらったもの。
私は車に詳しくないからよくわからないけど、2人乗りのスポーツカーで、素人目から見てもかっこいい。
運転する宗ちゃんを、助手席から横目でじっと見つめる。
「俺の顔に何かついてる?」
見入っていると、いつから私の視線に気づいていたのか、前を向いたままの宗ちゃんがそう言った。
バレていないと思っていたから、ちょっぴり恥ずかしい。
「ううん。運転する姿もかっこいいなぁと思って……」
「……っ」
思ったままのことを言えば、宗ちゃんがハンドルを握る手に力を込めたように見えた。
「……藍。あんまり男に、かっこいいとか言ったらダメだからね」
……え?
「どうして?」
子供に言い聞かせる親みたいな忠告の仕方をする宗ちゃんに、首を傾げた。
「どうしても。周りの男に同じようなことしたらダメだよ」
……よく、わからないけど……。
「しないよ。だって私がかっこいいと思うのは宗ちゃんだけだもん」
昔から、ずっとそう。
私の『かっこいい』は宗ちゃんが独占しているから、他の人に渡す分なんて残っていない。
「……」
私の返事に、なぜか黙り込んだ宗ちゃん。
ほんとにどうしたんだろう……変な宗ちゃん。
「ねぇ宗ちゃん、次はいつ会える……?」
沈黙がもったいなく感じられて、宗ちゃんの横顔に声をかける。
「……わからないって言ったでしょ」
また、呆れたような声が返ってきて、思わずびくっと萎縮してしまう。
ちょっと、しつこく聞きすぎちゃったかなっ……。
「……うん、ごめんなさい……」
今日は内緒で大学に行ったり、家に入れてほしいとせがんだり……いい加減うっとうしがられちゃったかもしれない……。
そう思うと悲しくて、不安で、視線が自然と下へと落ちていく。
「はぁ……その顔やめて。悪いことしてる気分になる」
宗ちゃんの言葉に、びくりと肩が跳ね上がった。
「……っ、ご、ごめんなさい。もう聞かないっ……」
すぐに物分かりのいいフリをして、これ以上余計な言葉が出てこないように唇をきゅっと噛みしめる。
今日は幸せだったから、浮かれすぎちゃった……。
そう反省したとき、頭にポンッと手を置かれた。
「別に怒ってないよ」
困ったような、けれど優しさの混じった声色に、顔を上げる。
「俺も言い方きつかったから、そんな顔しないで。純粋に、俺に会いたいと思ってくれてるのは……嬉しいし」
「え?」
車のエンジンの音でかき消され、最後のほうが聞き取れなかった。
聞き返すように首を傾げて宗ちゃんを見れば、気恥ずかしそうにした視線がちらりと私を捉える。
「なんでもない」
すぐに視線を戻し、前を向いた宗ちゃん。
わしゃわしゃと、再び頭を撫でられた。
怒っていなくて、よかった……。
「宗ちゃんに撫で撫でされるの、好き……」
されるがまま、目をつむって宗ちゃんの手を感じる。
すると、ピタリと撫でる手が止まった。
「……だから、そういうのが……」
「……?」
何か言いかけた宗ちゃんは、私の頭から手を離した。
あ……もう少しだけ、撫でてもらいたかったな……。
「ほら、着いたよ」
え……?
宗ちゃんの言葉に、驚いて車の外を見る。
「ほんとだ……もう着いちゃった……」
1時間くらいかかるはずなのに、一瞬だったなぁ……。
宗ちゃんといる時間は、どうしてこんなにも過ぎるのが早いんだろう。
名残惜しくて、スカートの裾をぎゅっと握った。
「宗ちゃんは、お母さんに挨拶していかないの?」
「昨日も会ったから、家にはもう寄らないよ」
そっか……。
「送ってくれてありがとう」
お礼を言うと、宗ちゃんはいつもの優しい表情で笑った。
「どういたしまして。またね」
あっさりとそう言う宗ちゃんとは違って、私の口からは「またね」の言葉が出てこない。
これ以上わがまま言ったら、迷惑がられちゃいそうなのに……次いつ会えるかもわからない状態でのバイバイは、つらい。
「……だから、そんな寂しそうな顔しないでってば」
宗ちゃんの言葉に、ハッとした。
私、そ、そんなに顔に出てたかなっ……。
「藍はほんとに寂しがりやだね。……夜、おやすみのメッセージ送るから、今日はおとなしく帰りなさい」
え?
おやすみのメッセージ……?
「ほ、ほんとに?」
私からすることは何度もあったけど……宗ちゃんからしてくれるの……?
「ほんとほんと」
単純な私は、宗ちゃんの返事にすぐ上機嫌になり、大きく首を縦に振った。
「うん! 帰る! ふふっ、待ってるねっ……」
カバンを持って、シートベルトを外す。
「宗ちゃん……またね」
「うん。また」
手を振った私に、宗ちゃんはまた頭を撫でてきた。
……今日も最後まで、子供扱いだったなぁ。
そんなことを思って、衝動的に身を乗り出す。
そっと、宗ちゃんの頰に口づけた。
「大好きっ……」
呆気にとられている宗ちゃんにそう告げて、逃げるように車を出た。
キス……しちゃったっ……。
子供の頃だったら何度かほっぺにちゅーしたことがあったけど……今はそのときとは違う。
ちゃんと恋愛感情のあるキスだもんっ……。
少しでも、私の気持ちが伝わるといいなぁ……。
そんなことを思いながら、熱い頰に手を重ね、マンションのエントランスまで歩いた。