肩が痛い。

じりじりと焼けるように痛い。
冬の儀式は、外で叩かれている間はまだましなのだ。体が冷えていて、痛覚も鈍くなっている。
最悪なのは、そのあとのお風呂と寝るとき。
身体が温まると、眠っていた痛覚がむくむくと目覚める。

最初のうちは痛くて泣いていた。まあ、今でも泣く。
逃げたいと思ったことなんかもう腐るほど。
腐るほど思っても叶わないのだから、彼らが信仰する〝神様〟は役立たずである。

今日は休日だ。
まあ、本当にお休みを貰えるわけではないのだが。
親がいない。
単純にそれだけである。
地方にある支部のほうで、信仰者を増やす活動に出るらしい。それも一週間。
私にとってのこの世の春である。

実の両親とはもう、家族関係はない。
勿論、この宗教上の関係では、だ。
私はもう、〝神様〟なので、親は存在しないものとされている。

そして、私のお世話をできるのも、言葉を交わせるのも、両親と祖母のみとなっている。
だから、彼らが支部に駆り出された今は、ある意味自由だ。
そんな重要なポストにいる彼らがどうして駆り出されたかといえば、〝神〟にもっとも近しい存在だからだそうだ。彼らが教えを説けば、信者が倍増するらしい。
我が宗教の信仰者は、おめでたい頭の持ち主ばかりである。

ご飯はいつも通り塩と無味のおにぎりと水。これは、時間になると部屋の前に置いてあることになっている。
誰か毒でも盛って殺してくれないだろうかと、詮無いことを考えて、そっと縁側に出た。
今は昼。
信者たちは、人々をこの地獄に勧誘する仕事をしている時間だ。

誰も入り込めないようにきつく言われている、私だけの庭がある。
この庭は、私に許された唯一の自由だ。とはいえ、私のためのものではない。
私が〝神様〟として失敗したとき、この場所で両親から折檻を受けるための場所だ。

だからこそ、誰もいないし、誰も来ない。
この庭は存在しないことになっている。

――そのはずだった。


鍵がついている筈の竹を編んで作られた扉から、すっと影が入り込んだ。
縁側に腰かけながら、死神かな、とぼんやりと思う。
さっさと連れて行ってくれたらいいのに。


「あ」

そう思ったら、その影が声を出した。
首を動かすのは痛いので、動かしたくなかった。だから動かさなかった。
縁側に座ったときのまま、ぼんやりと空を眺めていると、影がゆっくりとこちらに近づいてきた。

「死んでる?」
「残念なことに生きてる」

顔を覗き込まれたので、そう答えた。

あの人だ。この前の儀式のときに来ていた、美しい男の子。
陽の下で見ても、その美しさに遜色はない。むしろ、内から輝くような美しさがある。
髪は限りなく黒に近い茶色だが、目元がもう、日本人のものじゃない。ばっさばさの睫毛に、黒とは言えないグレーの瞳だった。曇り空みたいだ。美しいな。
通った鼻筋は細くて、口許は品がいい。

そんな人間が、何を間違ってこんなところに迷い込んだのか。

「……喋った」

彼は、私の声に衝撃を受けているようだ。
驚いた顔をすると、少し幼くなる。かわいいな。その美しさ可愛らしさ、羨ましい。

それはさておき、そりゃあ喋る。
覇気がないことは自覚しているし、滅多に話さないので、声は掠れているが。

「こんなところにいたら怒られるよ。お下がりよ」

正確には、この現場を見られて折檻されるのは私のほうだ。目撃した人間が、そく両親に告げ口するだろう。
考えただけで憂鬱になる。
さっさと消えてほしい。

「そういうわけにもいかなんだ。あんたのせいで、俺のオヤジが頭のいかれた宗教にのめりこんじまった」

そうなのか。そうだろうな。私は、信者を引き寄せるための餌だ。

「じゃあ、私を殺してくれたらいいのに」

あー。馬鹿な事を言ってしまった。
痛みのせいもあるだろう。やけくそだ。
最近ちょっとやばかったから、精神的に。

こんなことを言ってしまえば、あとあとどんな折檻が待っているか。
でもそんなこともどうでもいいってくらい、そろそろ壊れてきたなって、自覚はあった。

曇り空の彼は、さっきと同じように驚くかと思ったが、そうでもなかった。
何故か、そうだろうな、って顔をされてしまった。

ああ、あの〝儀式〟のせいかな。
そうかもね。この宗教に染まっていない人間に、あれは、頭がいかれた異教徒の遊戯にしか見えないだろう。
どんな思いで見られていたんだろうか。
自分と大して年の 変わらなそうな女が、神様だなんて崇められて、他人の前でおっぱい丸出しで両肩を棒で叩かれている姿なんて、そりゃ衝撃だっただろう。

考えたら、また死にたくなった。
この子、ほんとに殺してくれないかな、私のこと。

「日本語上手だね」
「日本生まれ日本育ちだから」
「そか」

どうでもいいことを訊いてしまった。
彼の外国人然とした容姿に反して、言葉はイントネーションも完璧で、違和感もない。

まあ、そんなことだろうとは思ったが訊いてみただけだ。もしかしたら一生懸命勉強したからかもしれないし。もしそうなら、失礼かなって思ったから。
つまり正直どうでもいい。さっさと出て行ってくれ。

「人間じゃん」

可笑しなこと言うなあ。
でも彼は、心底から、驚愕した声でそう言った。

「待って、正気の人間じゃん。自分のこと神様なんて思いこんでる頭いかれた女だと思ってたのに、……ふつーじゃん!」

そうか。頭いかれてると思われてたのは私のほうだったのか。
まあ、間違ってはいない。

「なんでそんな痩せてんの?飯食ってる?もしかして病気なの?」

驚いたかと思えば慌てて心配してくれるようになった。
まあ、自分の身体が標準と比べて小さくてガリガリなのは承知している。爪も、栄養が足りてなくて白く濁って割れている。
彼から見たら、私は異常だろう。

「見た目はあれかもだけど、元気はあるから大丈夫。それより、早く行きな」

まるで迷い込んだ猫にでも言うように、そう言ってしまった。
タイミングよく、誰かの声が聞こえた。人を探しているようだ。聞きなれない名前を呼んでいる。
その声に、曇り空の彼が反応したので、彼の名前だということが分かった。
声は遠くて、彼の名前がなんなのかはよくわからなかったけど。

それなのに彼は、すぐさま立ち去ろうとしなかった。
入ってきた入り口と、私とを何度も往復して、どうしたらいいか迷っているようだった。

「見つかると私が怒られるんだ。だから、早く行ってくれると有難い」

言ったら、びくっと肩を震わせた。
この前の儀式を思い出したのかもしれない。
そうなんだ、君の想像通り、私が受ける折檻は、あんな感じ。

彼は、私に小さな何かを投げて寄越して、慌てて庭を出て行った。
出て行った扉もきちんと閉めて行ったので、私はほっと息を吐く。

私の膝には、優しいミルク色の、飴玉が転がっていた。