「それでは行ってまいりますっ」

 週明け、玄関で深成は真砂にびしっと敬礼した。
 今日から一か月、深成は高山建設に行く。
 とはいえ会社で会えないだけで、帰って来ればいつも通り一緒なのだが。

「気を付けろよ」

 送り出すときの決まり文句のようだが、真砂の場合は心配しているところが違う。

「帰るときにメール入れるね」

 何だかんだで不安な深成も、一旦ノブにかけた手を離し、真砂にぎゅっと抱き付いた。

「頑張れるお守り~」

 そう言って離れようとする深成を、真砂が引き留めた。
 腰に手を回し、顔を近付ける。

「んっ……」

 出がけにするキスにしては深い。
 長いキスの後で、ようやく真砂が唇を離した。

「……いきなりそんなキスして。わらわ、ちゃんと歩けるかなぁ……」

 赤い顔で若干ぽや、としつつ、深成はよろよろと玄関を出た。



 高山建設についた羽月と深成は、早速六郎に出迎えられた。
 どうやら六郎が二人の世話役のようだ。
 高山建設側からすると、知った人のほうがいいだろうという心遣いなのだろうが。

「やぁ久しぶり。わざわざ悪いね」

 にこりと手を出す六郎に、羽月が、がばっと頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 深成も横で頭を下げる。

「とりあえず、二人の席はこっちだよ。PCは用意してあるけど、ちょっと特殊な仕様かもしれないから、わからなかったら聞いてね」

 てきぱきと、六郎がフロアの説明から仕事の説明をしていく。
 その手際の良さを、深成は『さすが真砂が鍛えただけある』と内心ノロケながら、違うほうに感心した。



 さてその頃mira商社の営業フロアの一画では、静まり返った空気の中に、ひたすらキーボードを打つ音だけが響いていた。
 皆ひたすら背筋をピンと伸ばし、画面だけを見つめている。

 そんな中、あきがそろりと席を立った。
 そそくさとフロアを出、トイレに駆け込む。

「……ふ~~~っ。ああもぅ、空気が恐ろしく冷たいわ。張り詰めてるし、緊張感半端ないわよぅ」

 ぶつぶつ言いながら、う~んと思い切り腕を伸ばす。
 今日から深成がいないのだ。
 そして真砂の機嫌は明らかによろしくない。
 元々無表情なので、特に見かけが変わったわけではないのだが、空気が全く違うのだ。

---しっかし初日からこれじゃ、一か月ももつかしら。課長、苛々し過ぎて胃に穴が開くんじゃない?---

 あの真砂が血反吐を吐いてぶっ倒れるようなことにならなければいいけど、と思いつつ、あきはポケットから携帯を取り出した。
 深成にメールを打とうか悩む。

---ま、いいか。深成ちゃんのことだし、課長には連絡入れてるだろうしね---

 ぷくく、と笑いつつ、気合を入れて、あきは自席に戻った。



「二人とも、お昼は?」

 昼のチャイムと共に六郎に聞かれ、深成は顔を上げた。
 いつもはお弁当だが、高山建設でのスタイルがわからないため、今日は持ってきていない。

「お弁当じゃないなら、外に食べに行こうか」

「うん。まだこの辺わかんないし、いいとこ教えて貰えれば助かる」

 ね、と羽月と一緒に深成は六郎について事務所を出た。
 お弁当の人もいるようだが、外に食べに行く人も結構いる。
 階段で丁度現場から帰って来た一群とも出くわし、あっという間に凄い人数に取り囲まれてしまった。

「おおっ。この子が事務のヘルプに来てくれた子か」

「小さいのぅ。くしゃみで飛んで行きそうや」

 作業着やランニングの男たちに囲まれ、あわわ、と深成は後ずさる。
 普段マッチョな男などと付き合いはないので恐ろしい。

「可愛いのぅ。何てぇ名前や?」

「昼飯に行くなら、わしらと行こうや」

 ぐいぐいと迫られ、猛獣に取り囲まれた子ウサギよろしくふるふると震えていると、さっと六郎が男たちとの間に割り込んだ。

「皆、そんながっつくな。この子は私に任されている」

「それは仕事上の話じゃろ。プライベートな話をしてるんじゃ」

 六郎の抵抗も空しく、さぁさぁ、と男どもは深成を連れて行こうとする。
 ここまで綺麗に無視されていた羽月が、慌てて深成の手を掴んだ。

「だ、駄目だ! 深成ちゃんを一人になんて、出来るわけないだろっ」

 ぐい、と引き寄せようとするが、ガテン系の男の力には全く敵わない。
 男も別に、そんなに強く深成を掴んでいるわけではないはずなのだが。
 深成を引き寄せるどころか、自分がずるずると深成のほうへと引き寄せられてしまう。

「ああん? 何じゃ、このガキは」

「か、彼も今日から研修に入る、羽月くんだ。社長からの預かりものだし、勝手なことするなよ」

 一瞬険悪な空気になったのを、六郎が遮った。
 その途端、男たちが、ぱっと深成を離す。

「そういえば、今回のヘルプは社長が直々にどっかに頼んだんだったな」

 どうやら皆社長のことは怖いらしい。
 あっさり二人を解放し、ぞろぞろと去って行く。

「全く。ごめんね、皆結構女の子がいたら、すぐに声をかけるんだ。下手したらセクハラまがいのこともされるかもだけど、あくまで軽いノリだから許してやってね。どうしても我慢出来なかったら、私に言ってくれれば助けるから」

「そ、そんなのおいらが許さないよ! 深成ちゃん、ここにいる間は、おいらから離れちゃ駄目だよ!」

 離れるも何も、席は隣だし言われなくてもここにいる間は離れようもないのだが。

「ありがとう。うん、いよいよ困ったら泣きつくね」

 深成に言われ、六郎と羽月は自分が深成に泣きつかれている場面を想像し、悦に浸るのであった。