そして月曜日。

「おはよ~」

 ぽてぽてと、深成がフロアに入ってくる。

「おはよ~、深成ちゃん。もう平気?」

「うん。お見舞いありがとうね」

 言いながら席につき、ちらりと上座を見る。

「課長。ご迷惑をおかけしました」

「ああ、気にすんな」

 一応会社では、上司と部下だ。
 挨拶する深成に素っ気なく返し、真砂は横に置いていた箱を、ずい、と差し出した。
 土産物のケーキだかチョコだかが入っているのだろう、よくある箱だ。

「皆に配っておいてくれ」

「あ、お土産だ。うわーい、ありがとう」

「一人で食うなよ」

「わかってますよ!」

 そんな上座でのやり取りを、あきはじっと見た。

---あれれ? お土産も普通だわね。いつもより、ちょっと大きいだけのような。まぁそれだけでも、ちょっと意外だけど---

 でももっと心躍る変化が欲しいわっ! と思っていると、二課のほうから羽月がやって来た。
 深成を見、たたた、と駆けてくる。

「あ、み、深成ちゃん。出てきたんだね。もう大丈夫?」

「え? あ、うん」

 ちょっと驚いたように、深成が若干引き気味に言う。
 そんな深成には気付かぬ風に、羽月は照れ臭そうに、ぽりぽりと頭を掻いた。

「あ、あのね。おいらもお見舞いに行きたかったんだけどさ。いきなり家に行ったら困るって言われて。連絡先も知らないからさ」

「はぁ、そうなんだ。ありがとう」

 何と答えていいものやら、困ったように笑いながら、深成が言う。
 あきはモニターの陰から、その光景を、じーっと見た。

---羽月くんたら、朝一で来るなんて、よっぽど会いたかったのね。んでも……今自分がいる位置がわかってんのかしら。真砂課長のすぐ前なのに---

 深成は真砂と喋っていて、まだ席に戻っていない。
 席に戻ったとしても、ただでさえ深成の席は真砂のすぐ傍なのに、さらに今はまさしく真砂の席の前にいるのだ。

 ドラゴンの守る金のリンゴを手に入れようとする英雄のようなものである。
 決して羽月は英雄ではないのだが。

---そっか、あの英雄は、ちょっと空気の読めない人だったわけね。奪えるか奪えないかなんて、見りゃわかるじゃない。ドラゴンに守られたリンゴなんて、近づくのもごめんだわ---

 あれ、あれってリンゴだったっけ、羊毛だったような気がするな。
 でも深成ちゃんならリンゴよねぇ、などと、妄想は果てしなく広がっていく。
 そんな妄想は、その空気の読めない羽月の言葉で打ち破られた。

「あ、あのさ。連絡先、教えてくれない?」

 がば、と現実に引き戻されたあきが、モニターから身を乗り出す。

「え、何で?」

 一歩後ずさり、深成が言う。
 結構誰にでもすぐに懐く深成にしては珍しい。

 警戒しているようだ。
 が、空気の読めない羽月には伝わらない。

「だってさ。お見舞いに行けないから、だったら電話しようと思っても、連絡先知らないし」

「いいよ、そんな気を遣って貰わなくても」

 深成が笑って手を振る。
 顔は笑っているが、その手はぶんぶんと、思い切り拒否を示しているのだが。
 残念ながら、羽月は諦めない。

 と、そのとき。
 がた、と音を立て、真砂が立ち上がった。

「いつまで喋ってる。さっさと自分の部署へ戻れ」

 低く言い、二人の間に入って羽月を見下ろす。
 ぴき、と羽月が凍り付いた。
 瞬間冷凍された羽月が動けず固まっていると、フロアに入って来た清五郎が、おや、という顔で近づいてきた。

「何やってるんだ。あ、お千代さん。はい、土産」

 清五郎の爽やかな風が、羽月を解凍する。

「まぁ、ありがとうございます」

 千代が笑って受け取ったのは、明らかに小さな箱だ。
 一課全員の分ではない。

「ずるーい、清五郎課長。千代姐さんにだけですか?」

 あえてあきが文句を言うと、清五郎は、ちちち、と指を振った。

「何個か入ってるから、分けて貰いな。派遣ちゃんと三人でな」

「俺にもくださいよ」

「馬鹿。女の子だけだ」

 向かい側から口を挟んだ捨吉はばっさりと斬り、清五郎はそのまま上座へと足を向けた。

「こら羽月。仕事放っぽり出して何やってる」

 言いつつ、ぐい、と突っ立っている羽月の耳を引っ張る。

「清五郎。うちの派遣にちょっかい出さないよう、そいつに縄でもつけておけ」

 冷たく言い、真砂は自分の背後に回していた深成を、席に促した。
 はは、と笑いながら清五郎に連れられて行く羽月を見送った後、あきはちろりと席に戻った深成を見た。

 あからさまにほっとしたように、深成は席に着く。
 そして次の瞬間には、真砂から貰ったお土産の包み紙をまじまじと見、嬉しそうに中身のチェックをし出した。

---ほおぉぉ。やっぱ真砂課長と羽月くんはライバルだわね。ああ、どうせならさっき、『うちの派遣に』じゃなくて『俺の深成に』ぐらい言ってくれたら良かったのに!---

 そんなこと、部下全員の前で言うわけはないのだが、あきは自分の考えに口角が上がりっぱなしだ。
 久々に鼻の奥が熱くなる。

---おっと。最近刺激が少なかったから油断してたわ---

 慌てて上を向いて、さりげなく鼻を啜る。
 深成がくるりと振り向いた。

「あれあきちゃん。もしかして、風邪伝染っちゃった?」

「あ、ううん。そうじゃないから、大丈夫よ。それにしても深成ちゃん、えらく羽月くんに迫られてるねぇ」

「何でだろ? わらわ、別にあの子のこと知らないのに」

 びりびりとお土産の箱の包みを破く深成の興味は、すでにこの箱の中身に向いていて、羽月のことなど、ああっという間に記憶の彼方に追いやられてしまうのだった。