五時半ちょっと過ぎに、あきは前の捨吉を覗き込んだ。

「捨吉くん。そろそろ終われそう?」

「え、う~ん。今日はまぁ……。あとちょっとしたら上がれるけど」

 何? と言う捨吉に、あきはあえて軽く言った。

「じゃあ、深成ちゃんのお見舞い行かない? ちょっと心配だし」

「ああ、そっか。そうだね、行こうかな」

「じゃ、深成ちゃんに連絡しとくね」

 そう言って、ぱぱっと携帯を操作してから、あきは空のファイルを持って真砂に顔を向けた。

「課長。この書類、ファイリングしてしまいますね」

「ああ」

 朝に真砂が深成に頼もうと思っていた書類のファイリングに取り掛かりながら、あきはちらりと真砂を見た。

「課長。課長も深成ちゃんのところ、行きますか?」

 何の気なしに言ったあきに、真砂が顔を上げた。
 どきどきと、あきの胸が高鳴る。
 この胸の高鳴りは、真砂と目が合ったからではなく、真砂がどういう反応をするか、という期待によるものであるが。

「……いや。お前が行くんだったら、休んでいいと言っておいてくれ」

 素っ気なくそれだけ言って、仕事に戻る。
 わかりました、と言って、あきはファイリングを再開した。
 が、俯き加減のあきの口角は上がっている。

---ちょっと間があったわね。一瞬考えたってことだわ。深成ちゃんじゃなかったら、多分間髪入れずに『行かん』の一言で済まされるだろうに。これは自分が伝染したことの責任感から? それとも他に、何かあるの?---

 ぐるぐると考え、にやにやと笑う。

---いやぁ、楽しいわぁ。課長が一緒に来てくれたら、もっと楽しかったのに---

 うふうふと軽やかにパンチを打っていると、二課のほうから鞄を持った羽月がやってくるのが見えた。
 捨吉のところに駆け寄ってくる。

「あれ羽月。もう帰るの」

「うん。あのさ。今日あの、派遣の子、早退したよね?」

「ああ。体調悪そうだったしね。お見舞いに行ってくるよ」

 屈託なく言う捨吉に、羽月はがばっと身を寄せた。

「あのさ。おいらも行っていいかな」

「え?」

 その言葉に反応したのは、捨吉だけではなかった。
 ちょっと離れたところで、あきががばっと顔を上げる。
 そして次の瞬間、あきの視線は真砂のほうへ。

 案の定、真砂も顔を上げていた。
 その視線は羽月のほうへ。
 一瞬だったが、羽月を射殺す勢いの、鋭い視線だった。

「いやでも……」

 ちょっと捨吉も、困ったような顔をした。
 深成から、ちょっと喋った、とは聞いているが、そう仲良くなったわけでもないだろう。

「駄目よ~、羽月くん。深成ちゃんは女の子なんだからね~」

 あきがファイルを持って席に戻りながら、羽月を窘める。

「女の子のお家に、男の子が行くもんじゃないわ」

「だ、だって。捨吉さんも行くんでしょ?」

「捨吉くんは、深成ちゃんと仲良しだもの。おんなじ課の先輩でもあるし」

 ぐ、と羽月が口ごもる。

「それに、病気の女の子のところに、ぞろぞろ行くもんじゃないわ。うちの課長だって遠慮したんだし」

 言いつつ、あきはちらりと真砂を見た。
 ちょっと渋い顔をし、真砂は視線をPCに落としている。

 先程の殺気を含んだ視線は鳴りを潜めているが、おそらく心中穏やかではないだろう。
 そんなことには露程も気付かず、羽月は口を尖らせて捨吉を見た。

「大体羽月くんが行ったら、深成ちゃんだって落ち着かないわよ。逆に、しんどいときに押しかけてくるような非常識な人だって嫌われちゃうよ?」

「そ、そっか……」

 簡単にあきに言いくるめられ、羽月は納得したように引き下がった。

---さて。これでお邪魔虫は排除したし、真砂課長もひとまず安心でしょ---

 ちらりと真砂を窺い、あきは目を細めた。
 生憎真砂の表情を読むことは容易ではないが、最近は結構わかるようになってきた。
 おそらくあきの感覚が研ぎ澄まされてきたのだろうが(怖)。

「じゃ、捨吉くん、行こう」

 さっさと自分の荷物をまとめ、あきは捨吉を誘ってフロアを出た。