【キャスト】
mira商社 課長:真砂・清五郎 派遣事務員:深成 
社員:あき・千代・捨吉・羽月
※『とあるmira商社 課長・真砂の病欠事情』の続編です※
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 こんこんと、深成が咳をする。
 合間にトイレに走り、鼻をかむ。
 その繰り返しだけで、三時ごろには明らかに、深成の目つきは怪しくなっていた。

「ちょっと深成ちゃん。大丈夫なの? 視線が定まってないよ?」

 あきが横から手を出し、深成の額に当てる。

「わ。熱あるよ。もう帰ったほうがいいよ」

「んん、でもこれ仕上げちゃわないと。課長、きっと明日必要だし」

 据わった目で画面を睨みつつ、深成が力のない声で言う。
 真砂は今、会議中で席にはいない。

「ちょっとトイレ……」

 ふらりと立ち上がり、深成はふらふらとフロアを出て行く。
 そしてトイレで、ぷは、とマスクを外した。

「は~~~、苦しい。鼻は詰まっちゃうし、マスクは空気を通さないし」

 ぜぇぜぇと酸素を貪り、ちん、と鼻をかむ。
 鼻のかみ過ぎで、鼻の頭はすでに真っ赤だ。

 ちなみにマスクは二重にしている。
 インフルだった場合、周りに伝染(うつ)さないように、という配慮だ。
 二重にしたところで、効果のほどはよくわからないが。

「課長、こんなに酷くなかったよなぁ……。鼻水は出てなかったし」

 ぶつぶつと呟きながら、再度ちん、と鼻をかむ。

「うう、痛い。帰りに鼻セ○ブ買って帰ろう」

 トイレットペーパーでは、もう鼻の皮が擦り切れそうだ。
 半泣きになりながら鼻水を拭い、トイレを出る。

 そのとき丁度、ちん、とエレベーターが開いた。
 ノートPCを持った真砂が降りてくる。
 深成を見、ぎょっとしたように目を見開いた。

「おい、大丈夫なのか」

 足早に深成に近づき、先のあきのように、額に手を当てる。

「凄い熱だぞ。もういいから、帰れ」

「でも、課長の明日の書類が……」

「いいから。つか、帰れるか?」

 心配そうな真砂に、ちょっと深成はきゅんとなった。
 この真砂が心配してくれている、と思うと、頬が緩む。

「大丈夫」

 へら、と言うと、真砂はちょっとだけ周りを見回した。
 そして、ぼそ、と言う。

「送ってやろうにも、今日は車じゃないし。まだ仕事もあるしな。俺の家に行っておいてもいいが」

 え、と深成が顔を上げる。
 確かに会社からは、真砂の家のほうが近いし、鍵も貰っているので、一人で行っても入れるが。

「えっと、どうしよっかな。む、無理そうだったら、お邪魔するかも」

 昨日の帰り際のキスを思い出し、深成はもごもごと口ごもりつつ言った。
 幸い赤くなっても、熱のせいだと思ってくれるだろう。

 かなりオフィスラブ的な雰囲気になったところで、かちゃ、とフロアの扉が開いた。

「あっ。み、深成ちゃん。どうしたの、具合悪いの?」

 隣の課の羽月が、深成を見るなり、たた、駆け寄って来た。

「あ、風邪みたいだから、近づかないほうがいいよ。わらわ、もう帰るんだ」

「えっそうなの? 大丈夫? 定時まで頑張ったら、送っていくよ」

 ずい、と羽月が申し出る。
 が、頭一つ分上の空間で、真砂の目が鋭くなった。

「……お前、こいつの家知ってんのか」

 落ちてきた低い声に羽月が上を向き、ひ、と息を呑む。
 一気に周りの温度が氷点下に下がったようだ。
 氷の瞳で見下ろす真砂に震えながら、羽月はふるふると首を振った。

「ば、場所までは知らないですけど、つつつ、ついて帰ったほうがいいかな、と……」

 震える声で言う羽月を相変わらず冷たい目で見下ろす真砂に、深成は慌てて口を挟んだ。

「だ、大丈夫だよ。一人で帰れるから」

 ね、と言い、深成はそそくさとその場を離れ、フロアに入った。
 残された羽月は、また落胆の表情を浮かべたが、はた、と真砂がいることに気付き、慌てて表情を引き締める。
 そんな羽月に、ふん、と鼻を鳴らし、真砂もフロアに入って行った。

「あきちゃん。課長のお許しが出たから、わらわ、帰るね」

 ふらふらと席に戻り、PCのロックを解いて言う深成に、あきは頷いた。

「うん。ほんとに大丈夫?」

「大丈夫……。とりあえず、これだけ作っちゃって……」

 作りかけだった書類を一生懸命作っていると、戻って来た真砂が後ろから深成の手を掴んだ。

「帰れと言っただろ。いつまでやってる」

「あ、こ、これだけやっちゃおうと思って。途中だし」

 言いながらごほごほ、と噎せた深成を椅子ごと机の前から押しのけ、真砂はPC画面を覗き込んだ。
 そして、ざ、と周りを見る。

「おい千代。ちょっと来い」

「はいっ」

 さっと駆け寄って来た千代に、ちょい、と画面を指す。

「あ。この前の決算のまとめですわね。はいはい、えっと、ここまで更新してくれたみたいですわね」

 真砂が何か指示しなくても、千代は的確に状況を読む。
 深成が打ち込んでいるのがどこまでかも瞬時に読み取り、その部分に色を付けた。

「はい。こうしておけば、あとは大丈夫ですわ」

「よし。じゃあお前は気にせず、さっさと帰れ」

 ぽん、と深成の頭を叩き、真砂は席に戻った。
 言葉に優しさはないが、深成は頭に残る真砂の手の感触を思い、帰り支度を始めた。

「じゃあ深成。それ、サーバーに保存だけしておいて。いつもの決算資料フォルダに入れておいてくれれば、あとはやるから」

 千代が深成の机の上の書類をまとめながら言う。

「ありがと。ごめんね、千代も忙しいのに」

「構わないさ。あんたも気を付けてお帰りよ。結構ふらふらだよ」

 こくりと頷き、深成は鞄を持った。

「深成ちゃん。終わったら、お見舞いに行こうか? ご飯作るのもしんどいでしょ? 何か買って行ってあげるよ」

 不意にあきが、深成に言った。
 あ、と深成が止まり、一瞬だけちら、と上座を見る。

「ん、ありがと。でも無理しないでいいよ。忙しいでしょ?」

「大丈夫よ。ま、あんまり遅くなったら無理だけど。とりあえず、後で連絡するね」

 にこりと笑って、あきが手を振る。
 深成も曖昧に笑って手を振り、もう一度ちらりと真砂を見てから、ぺこりと頭を下げてフロアを出て行った。

---ん~? もしかして深成ちゃん、先に課長と約束してた? 課長がお見舞いに行くイメージないけど---

 下がった目尻で深成を見送り、あきはその視線を上座に移した。
 すでに真砂は仕事に戻っている。
 特に表情にも態度にも、いつもと違うところはないが。

---でもさっき、深成ちゃんは明らかに課長のほうを見たものね---

 さすが名探偵あき。
 一瞬の深成の視線の動きも見逃さない。

---深成ちゃんの、あの風邪は課長から貰ったものだろうから、だとしたら課長もちょっと放っておけないんじゃない? ていうかさ、金曜日、何してたのかしら。伝染るようなことって? 水曜から休んでたら、金曜には、もう熱も下がってるだろうし。ちょっとやそっとじゃ伝染らないわよねぇ---

 おやおや、とさらに目尻を下げながら、あきはにやにやと妄想を膨らませた。