「僕は、そう思いませんでしたが」
その発言が、暗い雰囲気を吹き飛ばしてくれた。声の主は、馬車の隅に腰掛けている十代後半の幼い顔立ちの少年。
彼は口許を緩めると、吟遊詩人に自信を持った方がいいと励ます。
少年の嬉しい言葉に黒いオーラを漂わせ気分を沈ませていた吟遊詩人は元気を取り戻すと、邪魔とばかりに乗客を掻き分けつつ少年の側へ急ぎ、先程の言葉が本当かどうか尋ねる。
「ほ、本当か?」
「嘘は、言いません」
「嬉しいね。私の演奏をわかってくれる人物がいたなんて。よし、いつか歴史に名が残る演奏家になってみせる」
少年の言葉に勇気が湧いてきたのか、吟遊詩人は自分自身に気合を入れるとハープを手に取ると大声で唄いはじめる。
その音程の狂いは相変わらずのもので、乗客全員が耳を塞ぐ。
しかし吟遊詩人は乗客の反応を態と見ないようにしているのか、音程が狂う演奏が続く。
「まあ、暗い雰囲気じゃないからいいわね」
「そ、そうね」
流石に、誰も本音を言おうとはしない。吟遊詩人に文句を言い続けていた少年も黙り込み、我慢して演奏を聴いている。
どうやら「調子に乗ってしまったと」と認識したのか、随分大人しい。
「貴方、本当に才能があると思ったの?」
中年の女性が、吟遊詩人を褒めた称えた少年に厳しい質問をぶつけていた。
それ対し少年は苦笑いを浮かべつつ頭を振ると「このように言わないと、おかしな緊張感が続く」という本音を語る。
これこそ本音と建前というやつか、少年の言葉に中年の女性は吹き出していた。
「それもそうかもしれない。それに、あの演奏を本当に上手いと言う人がいたら耳がおかしいわ」
厳しい内容が含む言い方であったが囁き声に等しい声音での会話であったので、吟遊詩人の耳には届いてはいない。
一方彼は完全に自身の世界に入ってしまっているらしく、徐々に声音が大きくなっていく。
結果、更に乗客の不満感を蓄積していくことになってしまう。
「少しの辛抱だ。我慢しないといけない」
しかしその演奏は、御者の一喝で強制的な終了を迎えてしまう。
何でも彼の音程の外れた酷い唄と演奏の影響で馬車を引く馬の機嫌が悪くなってしまったらしく、このままでは予定時間に到着しないという。
また、機嫌が悪い馬が暴れたら乗客に被害が行くと忠告を受ける。


