その日、僕は出来る限り彼女のそばにいたいと思った。
僕は、あらんかぎりの勇気を振り絞って、沙耶の主治医と母親にお願いした。

今夜一晩、彼女のそばに居させてほしいと。

とんでもない、と言われたけれど、何度も何度も頭を下げた。


そして、やっと許可をもらって病室に帰った。



ドアノブを回すと、すんなりと開いた。

「沙耶?」

病室のベッドの上に、彼女の姿はなかった。
僕は動揺して、病室を見回す。

「沙耶。」

返事はなかった。


僕は病室を飛び出して、君を探したんだ。


廊下には曲がり角がいくつもある。
複雑な迷路みたいになっている病院で、君を見付けるのはとても困難なことに思えた。
でも、明日に手術を控えている君が、そう遠くに行くはずはないと僕は思った。

そして、しばらくして、廊下の突き当たりを曲がると君がいた。

僕は、思わず立ち止まってしまった。



廊下の大きな窓を開けて、君は外を見ていた。
暮れゆく空が、君の瞳にぼんやりと映っている。

僕は何も言えずに、ただ息をひそめて君の斜め後ろに立っていた。



「綺麗な夕焼け。」



小さな声で、君がつぶやく。
事情を知らない人にも、切なく聞こえるような声で。
僕は、何も答えないで存在を消していた。



「ね、そう思わない?……春岡くん。」



だから、突然君が振り返った時、僕は驚きを隠せなかった。

しかし君は、ずっと前から分かっていたというように微笑んでいる。
そうか、きっと窓に映っていたんだね。
僕の情けない顔も、涙も、全部。



「春岡くん、約束して。」



「なに?」



「私が夕方に、こうして空を見ているとき。夕焼けが見えるかどうか、教えて。」



「うん。」



「ちゃんと、教えて。本当のこと、教えて。」



「わかった。」



この時、君が言いたかったことを、僕はちっとも分かっていなかった。
君は、夕焼けのことだけを言っていたわけじゃなかったのに。

嘘で固めた美しさや、優しさは要らないと、君はそう言いたかったんだ――



「約束、して。」



「ああ。」



「よかった。」



君は、悟りを開いたみたいな笑顔で僕を振り返った。
僕は、笑い返すことは出来ずにうつむいた。



君が出会っていたのが僕ではなかったら。

今でも僕はそう思う。


そしたら君は、今もまだ。

誰かの隣で笑っていたかもしれないのに――