僕はそれから、ずっと病院のロビーの椅子に座っていた。

どうしたらいいか、なんていう建設的なことは考えられなかった。
ただ、呆然とそこに座っていたのだった。




どのくらいの時間が過ぎただろう。
僕はいつの間にか眠ってしまったらしい。




真っ暗な病院のロビーに、ハイヒールのコツコツ、という足音が響いて、僕は目を覚ました。



ぼんやりとその人の後姿を目で追う。
その後姿は、なんとなく見覚えがあるような気がした。

「沙耶?」

小さくつぶやいて、すぐ僕は笑ってしまった。
そんなわけがない。
沙耶が消灯時間を過ぎてから、ヒールのある靴を履いて病院を出ていくわけがないじゃないか。

その足音は、夜間出口に吸い込まれていった。
そのほっそりした後姿は沙耶にとても似ていた。
でも、沙耶ではないと分かっていた。



僕は、もう一度目を閉じた。

沙耶に会わせてもらうことはできない。
それは、分かってる。

でも、会えないのに僕は微かな望みを抱かずにはいられなかった。
君に、頼ってほしかった。
僕では頼りないかもしれない。
でも、僕のこの全身と、この心すべてをつくして、君を包みたかった。

もう下らない軽口なんて要らない。
嘘っぽい愛の言葉も、未来の約束も、何も要らない。

ただ、そばにいたい。
君の温度を感じていたい。
そして、君に僕の温度を分けてあげたい。

周りの人が思っている以上に、そして君が思っている以上に。
僕は君の近くにいなければいられない。
そして君も、僕がそばにいなくてはいけないんだ。



もしも今、神様が許してくれるなら。
君の病室にどんな手段を使っても潜りこむ。
ドアの鍵を壊したって、隣の病室の窓から飛び移ったって。
何をしたっていい。

僕は君に約束したんだ。



命を懸けて君を守る、と。




だけどね、沙耶。
神様は強引な僕を許してはくれないだろう。
もし僕が、運命に逆らうような行動を取ったとして、それは君を傷つけるかもしれない。

その頃の僕は、ある意味で理性的だったのかもしれない。
それともただ、臆病だったのか。
自信が無かったのかもしれない。

消灯時間を過ぎた君の病室に飛び込む覚悟は、その頃の僕にはまだできなかったんだ――