息を切らして大学病院に駆け込んだのは、もう日が暮れた頃だった。
もちろん面会時間は終わっている。

でも僕は、受付に尋ねることさえせず、階段を駆け上がった。

今までこの世界のどこにいるのか分からなかった君が、この病院の中に確実にいる。
それが分かっただけで、僕はどれほど安心しただろう。
どんなに広い病院であろうとも、探し出せないなんてことはないと思った。


一般病棟には君はいなかった。

別棟の、ひっそりとした病棟の片隅に、君の病室を見付けた。

案の定、病室には「面会謝絶」のプレートが掛かっていて、扉には鍵がかかっていた。


だけど、君はおそらく昨日まで手紙を書いていた。
つまり、まだ手術はしていないはずだ。
まだ、間に合うはずだ。


僕の頭の中には、もはや僕のことしかなかった。
僕の行動が、彼女をどんな気持ちにさせるかなんて、考えていなかった。
僕の幸せが、沙耶の幸せだとは限らなかったのに。
それに気付けなかった僕は、まだ本当に幼くて、未熟な子どもにすぎなかったのだ。


ドアを軽くノックした。

「はい。」という固い声の返事が聞こえる。

沙耶では、ない。


ドアから顔を覗かせたのは、沙耶の家でも何度か会った、沙耶の母親らしき人だった。


「あら……どうしてここを?沙耶には会わせないと言っているでしょ?帰りなさい。」


小声だが厳しい口調でまくしたてられる。
だめだ。
これではいつもと同じ結末になってしまう。


「どうしてですか?お嬢さんに会いたいんです。沙耶に、会いたいんです。」

「これ以上困らせないで。迷惑しているんです。もう二度と来ないで。」

「いいえ。どうしても……」

「これは沙耶の望みなの。もうあなたには会わないと、そう言っているの!」


その時、病室の奥の方から、弱々しい声が聞こえた。


「お母さん、誰かいるの?」


久しぶりに耳にした沙耶の声に、僕は込み上げてくる涙を必死に止めておかなくてはならなかった。
感動なのか、喜びなのか、悲しみなのか、自分でも分からないような気持ち。
胸が詰まって、肝心の言葉が出てこなかった。
そうしているうちに、沙耶の母親は「何でもないわよ。」と言いながらドアを閉めてしまった。
カチリ、と閉められたドアが開くことはもう決してないと、僕は知っていた。


沙耶、会いたいよ。
そこにいるんだろう?

その薄い一枚のドアの向こうに、君はいる。

悲しい覚悟を決めて。
過酷すぎる未来を、自分一人で背負おうとして。

僕が共に背負うと、そんなことを言っても、今の君には伝わらないと分かっている。
でも、せめて彼女のそばにいさせてほしかった。
未来の約束とか、そんなことどうでもいいから。
君にとって負担になるようなことは、考えなくていいから。

ただ、僕がつらいとき君がとなりにいてくれたように。
君がつらい時に、僕がそばにいられたら。

そう思っていたんだ――