このころムシャラフは東部戦線司令部にいた。
右ポケットの小石は小刻みに震え続けている。
戦況が緊迫してくると振動と不気味な輝きは確実に増大した。

首相官邸と数分ごとに連絡はとっている。
シャリフ首相は開戦と同時にアメリカに連絡を入れた。
開戦時期はムシャラフ総参謀長に一任していたが
それは5月10日未明であった。

イスラム過激派を合流させカルギルを制圧したところで
停戦交渉に持ち込むという作戦であった。
ミサイルを配備し大量の正規軍を国境沿いに待機させて
おけばインド軍もおいそれとは手出しはできまい。

アメリカはインドに自制を促し国連でパキスタンの侵略
であると認めさせた。シャリフは条件次第でイスラム
過激派は撤退させるとアメリカとの交渉に入った。

交渉は難航し日増しに空爆とヒンディー過激派のテロが
激化していった。1ヶ月がたってやっと停戦合意に達した。
過激派同士の戦闘で1000名以上が戦死し、
ついに撤退命令が下った。

独立派にもパキスタン領への正式な撤退命令が下った。
独立派の指揮官ウサマは怒り心頭に達した。
裏切られたのだ。パキスタンにもアメリカにも。

アメリカとの交渉のためにカシミールは利用された。
アメリカはインドとパキスタン両国と取引をしたのだ。

ウサマは悩んだ。自爆すべきかとどまるべきか?
はたまたパキスタンのイスラム武装勢力と合流すべきか。

ムシャラフ総参謀長はウサマを将軍として正規軍に迎える
と約束していた。しかし数日後ウサマは10数名の腹心と
ともに行方をくらました。「イスラム戦士よ永遠なれ!
アメリカに死を!」という言葉を残して。