イスラム武装勢力の防空機能はゼロに等しかった。
カルギル近辺のミサイルや高射砲はインド軍が持ち去って
まったく無防備だ。

インドはパキスタンの侵略行為を国際社会に訴えつつ空爆を続行した。
仲介役のアメリカはインドに有利に動いた。アメリカは1年前の
パキスタン核実験からパキスタンに経済制裁を科していたのだ。

シャリフ首相は窮地に立った。カルギルではヒンディー過激派との
戦闘が熾烈を極め死者は1000人に近づいた。

カルギル南のスリナガル山麓に集結するインド軍は10万を超えた。
60発のミサイルはインド各地からパキスタン全土に照準が定めてある。

パキスタン側のミサイル「ガウリ」25基も発射準備は完了していた。
核弾頭搭載の可能性は大だ。実効停戦ラインからパキスタン側にも
6万を超える正規軍が待機していた。

日一日とカルギル北部の空爆は激しさを増しヒンディー過激派の
襲撃が激化していった。

カルギル占領部隊イスラム過激派の総指揮官はウサマだった。
独立派のリーダーとしてカルギルを拠点にテロを指揮し
パキスタンからのイスラム戦士を導きいれて一大勢力になっていた。

5月10日パキスタンからのイスラム武装勢力一万を迎え入れて
カルギルを制圧したが町はもぬけの殻で全く抵抗らしい抵抗はなかった。
空爆開始とともにヒンディー過激派が潜入してきた。