ソ連のアフガン侵攻とともにアメリカはパキスタンに接近した。

アメリカからの全面的な支援を得てイスラム戦士は続々と

アフガンへと送り込まれた。


この間にも核とミサイルの開発は着実に進み、カシミール峡谷

では両国のミサイル基地が一つまた一つと増築されていった。


泥沼のアフガン戦争もゴルバジョフの登場とともに1989年に

終結する。この時戦う場を失ったイスラム戦士の多くが

カシミールに潜入した。


インド領ジャムカシミールではイスラム過激派が徐々に

増え続け独立派と併合派とに分かれて一大勢力になっていた。


やがてシャリフ首相が誕生しガウリムシャラフは総参謀長に就任した。

アメリカが核開発に難色を示しあからさまに批判してきたが

ムシャラフは中国や北朝鮮から技術輸入して中距離弾道ミサイル

「ガウリ」の完成も間近であった。


ガウリとは12世紀にインドを征服したイスラム戦士の名だ。

パキスタン側に核とミサイルが配備されればあとはインド領

ジャムカシミールでのイスラム過激派の武装蜂起を待つだけだ。


20年前のバングラディッシュ独立の報復だ。カシミール独立支援

を名目にジャムカシミールを制圧する。核は両国とも使用できない

だろうから、とすれば両国のイスラム戦士が連携を密にして


さらにパキスタン国軍が援護すれば地上戦での優位停戦は可能だ。

カシミール奪還はもう時間の問題だった。