「先生」


悪いのは分かってる。

でも、お弁当を作らなくなるなんて、私にはできなかった。

夏目はいつもの笑顔で受け取ってくれるのに。


「小倉、今日のあの問題、よく分かったな。」

「当たり前じゃん。ちゃんと勉強したもん。」

「偉い偉い。」


夏目が微笑んでももう警報音は鳴らない。

私は逃げたんだ。

本当は、父のせいだけじゃなくて。

幸せと比例して増えていく罪悪感に、耐えきれなくなって。


「なあ、どうかしたのか。」


気付くと夏目が心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「何が?」

「いや、……なんか最近違うな、と思って。」


夏目はさすがに鋭い。

夏目に隠し事なんてできないのだと思い知った。


「何でもないよ。」

「そう?ならいい。」


夏目はそれ以上踏み込もうとしない。

そんな夏目の優しさが、今は余計に痛い。


「あ、次の授業予習やってないんだった。じゃあ。」

「ああ。ごちそうさま。」


ほら、こうやって私はまた逃げる。

こうして逃げて、知らずのうちにたくさんのものを失っているんだろう。


でも、向き合うことで、それ以上のものを失うのはもうこりごりだから。


だから私は、生物準備室のドアを閉めて、そこにある居心地の良さに背を向けたんだ。