その日、生物の質問があって、私は久しぶりに生物準備室を目指していた。

本当は、幸せなことと嫌なことを同時に思い出すその場所には、あまり行きたくない。

でも、どうしても聞きたいことがあって、私にとっての生物の先生は夏目しかいないのだから仕方がない。

4階は遠く、息を切らせながら階段を駆け上がっていた。


もう少しで階段を上りきる、その時に私は急に目の前に現れた人影に驚いて、立ち止まった。

その人も立ち止まる。


「すみませ、」


謝ろうとしてよく見たら、それは篠原さんだった。

私は無言で脇をすり抜けようとする。

その時、急に腕をつかまれた。


「待ちなさいよ。」


篠原さんは氷のような顔で私を睨みつけた。

私は黙って篠原さんを一瞥する。


「どこに行くつもりなの。」

「生物準備室です。」

「邪魔しないでよ。」


単刀直入に篠原さんは言った。

邪魔するなと言われても、質問があるのだから仕方がない。


「私が夏目先生の恋人なの。」

「どうでもいいよ、そんなこと。」


私が低くつぶやくと、篠原さんの顔色が変わった。


「私見たのよ。あなたがあの人の家を訪ねたところを。」


だからか、だから様子がおかしいんだ。


「あなたは、どうして夏目先生に付きまとうの?」

「……。」

「夏目先生が、生徒を相手にするとでも思ってるの?」

「私、夏目先生が好き。生徒とか、教師とか、そんなの関係ない。」


一瞬何が起きたか分からなかった。


体が宙に浮いた感覚がした。

目の前には両手を伸ばした篠原さんがいた。

篠原さんの手先が、私の鎖骨あたりから離れていく。


スローモーションのようだった。


激しい衝撃を全身に感じたのはそのすぐ後だ。

体がばらばらになってしまうのではないかと思うくらいの衝撃。

少し遅れて痛みがやってくる。


「……っ!!」


篠原さんは蒼白な顔をして階段の上に立ち尽くしていた。

倒れこんだ私は、必死の思いで篠原さんを睨みつけた。


「あなたがいけないのよ。そう、あなたのせいなの。」


篠原さんはぶつぶつとつぶやきながら、去っていった。

私はその場に取り残された。