ベランダで、手すりに身を乗り出しながら、楓は黙っていた。

私は、その背中を見つめながら、彼女の言葉を待っていた。

本当は、先に謝ってしまおうと思っていたんだ。

でも、彼女の背中はそれを許さなかった。




「知ってたんだ―――」



「え?」




楓はつぶやくように言った。


何を?と尋ねようとして、急に振り返った楓の険しい表情に、何も言えなくなる。




「知ってたんでしょ、」



「な……、」



「この親にしてこの子あり、ってあなたのためにあるような言葉。」



「え、」



楓は、とてつもなく恐ろしい顔をしていた。
その反面、泣きそうな瞳からはとめどなく涙が溢れていて。



「返してよ。」



「楓、」



「お父さんを返してよっっ!!!」



その言葉に、頭が真っ白になった。

そして、私は気付いたんだ。




前園楓――――




嘘、嘘だ、



あの優しいマエゾノさんが、



私の家に、幸せを連れてきてくれたマエゾノさんが……




「死ねばいいのに!みんな、死んじゃえばいいのに!お父さんも、あんたのお母さんも、……唯も。」



楓はみるみるうちに泣き顔になって、座り込んだ。
膝の間に顔を埋める楓を見つめながら、私はただ、立ちすくむことしかできなかった。



自分が、どれほど罪深いことをしていたのか、やっと分かった。


楓が、どれほどつらかったか、すべてを失って初めて理解した。



「ごめん、……」



「許さない……絶対許さない。」



わなわなと震えながら、鋭い光の目で私を睨んだ楓が、怖かった。

人に憎まれることには慣れているのに。


それでも、怖くて。


私は、体中の震えが止まらなくなった。



知らなかった。

その一言が言えたなら、どんなに楽になれただろう。

だけど、そんな言葉を信じてもらえるような、甘い出来事じゃないということを、私は知っていた。

もう、取り返しがつかないんだ。



最初から、疑うべきだった。

苗字しか教えてくれなかったマエゾノさんのことを。


気付くべきだった。

マエゾノさんも、楓も。

こうなる前に、たくさんの危険信号を発し続けていたのに。



何て不幸なんだろう。

お母さんも、マエゾノさんも、楓も、楓のお母さんも、私も。



そしてその日は、そのまま早退したんだ―――