「失礼します。」


「笹森さん……どうしたの。」


そんなにすぐに気付かれてしまうほど、私は落ち込んだ顔をしていたのだろうか。
天野先生は、いつだって一番最初に私の気持ちに気付いてくれる。
それなのに、一番大事な気持ちには触れないままで。


「何でもないです。」

「なにしたの。」


目を逸らすと、先生は私に歩み寄った。

すぐそばまで。

でも、先生はやっぱり、指一本たりとも私に触れようとはしない。


「何かあったのは分かっています。隠しても無駄ですよ、笹森さん。」


ずるいよ、先生。

先生は、自分のこと何も話してくれないくせに。
秘密が、山ほどあるくせに。

私のことは、全部知っていたいだなんて、そんなの―――


「何でも、」


「何でもないのなら構いません。」


諦めたように発した先生の声が、空しく響いた。

ああ、私はまた子どもっぽい態度で、先生を困らせてしまったんだ。


「けんか、したんです。」


「けんか、ですか。」


頷くと、一粒だけ涙がこぼれた。
だけど、その一粒が床に落ちる前に、私は左手で素早く拭った。

その涙を拭いてくれるような、優しい先生ではないことを私は知っているから。


「もう二度と、戻らないかもしれない。」


「そんなことはないですよ。」


「どうして?」


「相手だって、同じように涙を流しているでしょうから。」



どんなに隠しても、先生にはお見通しなんだね。

前は、それが嬉しかったけれど。

今は、なんだか悲しい。

先生と私との間には、越えられないものがあるような気がして。

先生が、圧倒的すぎるから、悲しい。



「ネコみたいですね。」


「え?」


「笹森さんです。」



先生はそう言って、寂しそうに笑った。



「どうしてですか?」



そう尋ねても、先生は首を振るだけだった。

私はなんだか無性に悲しくなってしまった―――