楓の異変に気付き始めたのは、その頃だった。


「楓。」

「……ん?」


いつものように屋上でご飯を食べていた時、ふと箸を止めて、空を見上げる楓に気付いた。


「どうしたの?なんか、元気ない。」

「……なんでもないの。」


何でもないと言う彼女の横顔は、その言葉とは裏腹に翳っていた。


「楓、……私でよければ聞くよ。」

「ありがと、唯。」


まだたくさん残っているお弁当箱を閉じて、楓は屋上の手すりの際まで歩いて行った。
私も、お弁当を置いて彼女を追いかける。

楓は、俯いたまま手すりの下を眺めていた。

その表情に、生気が感じられなくて。
私は息を呑む。

まるで、過去の自分を見ているようだった。

天野先生や、マエゾノさんに助けられる前の自分を。
母や、大路さんからの虐待によって、身も心もボロボロになっていた。

死ぬつもりだったわけではないけれど、気付くと死に場所を探していたあの頃の私。



「楓。」

「唯、……人を、憎んだことある?」

「え?」


楓は、表情を失くしたままで、そっとつぶやいた。


「一生許せないくらい、人を憎んだこと、ある?」

「……。」


その問いかけに、心がうずいた。

私は、人を憎んだことがある?


ある。

それは、もちろんある。


だけど、一生許せない、というのとは違う。

大好きだから、愛してほしいから、憎んでしまうんだ。

私の思いと、現実とのギャップが、「憎む」という感情を連れてきて。



「私はね、唯。許せないの。……お父さんのことが、許せないの。」

「お父さん?」

「そう。」


楓が手すりを握る手が、小刻みに震えていた。


「死んだらいいって、そう思ってる。」


楓が発した言葉。
その言葉の深い意味を考えるより先に、私の中にある感情がはじけた。


「聞きたくない。」


「え?」


「楓の話なんて、やっぱり聞きたくないよ。」


呆気にとられた顔をした楓に、私は刃物のような言葉を投げつけた。


「楓は全部持ってるじゃない!お父さんも、お弁当作ってくれる優しいお母さんも!!ねえ、楓。死ぬって、どういうことか知ってる?どんなに悲しいことか、知ってる?」


「唯……。」


「ごめん、」


私は、お弁当箱を抱えると屋上を飛び出した。

階段を降りるとき、後から後からあふれる涙を、止めることができなかった。


楓の気持ちなんて、何も分かってあげられなかった。

ただ、私は、自分の気持ちに整理をつけるので精一杯で。


ただ、もう取り返しはつかないんだと、心のどこかで思っていた―――