「失礼します。」

「いらっしゃい。」


放課後の数学科準備室は、いつも温かい。

悲しいことは、何もかも置き去りにして、閉ざされたドアの中にふたり。

何も生まれることのない関係。

だけど私にとっては、決して失うことはできない関係。


「雪、ですね。」

「ええ。初雪です。」


先生の隣の椅子に腰を下ろして、はーっと手に息をかける。

でも、それを見ているだけで、先生は寂しそうな顔をして自分も手を組んだ。

私の手を温めてくれた先生。

冷たい心の奥までも温めてくれた。

あの日、私は取り返しがつかないくらい、先生を好きになってしまったんだよ。


それなのに今、先生は私に触れようともしない。

クリスマスの約束が、ぼんやりと宙に浮かんでいる気がした。


「センター試験までです。」


「え?」


「補習です。」


唐突に先生が言い、私は言葉を失う。


「センターが終わると、二次試験の対策として個別指導が主となります。そしたら、私も指導に当たらなくてはならないので。」

「……はい。」


分かっている。
先生は、私のものではない。
私が生徒である限り、その他大勢と同じ扱いを受けるのは当然のこと。
しかも、入試がない私は尚のこと、先生には近づけないだろう。


「じゃあ、もうあと2週間くらいですね。」

「実質、そうなりますね。冬休みを除けば、もっと短い。」


悲しいよ、先生。

先生から貰った言葉は、思い返してみればすべて、霞んで消えてしまうようなものばかりだった。

約束なんて、本当に何もない。


私は、「嘘つき」と先生を詰ることさえ、できなくて。


「先生。」

「はい。」

「クリスマス、どこに行きますか?」

「クリスマスは……私の家で祝いましょう。」

「天野先生の?」

「ええ。」


先生は、それ以上何も言わなかった。
心なしか硬い表情で、無理して微笑んでいるみたいだった。

まるで、この間の私のように。

何となく、私は気付いていたんだ。

先生は、何かもう決めてしまったんだと。

私の知らないところで、すべて決めてしまった後なんだと。



遠のいていく幸せの足音が、私の胸を掻き乱していた―――