玄関に入って気付く。

知らない男物の靴が置いてある。



また、悪夢が始まるのだと思って、私は悲しみに呑みこまれた。



久しぶりに、浮かれたような母の高い声が廊下に響く。

それに混じって、低い声も。


「マエゾノさんー。」


母の甘えたような声が、さらに私を追い詰める。


「笹森さん、」


母を名字で呼ぶ男。
その声が、どことなく先生に似ていて、切なくなる。


「今、玄関で物音がしたんじゃないか?」


「あら、そう?」


「娘さん、帰ってきたんだろ。」


隠れようと思ったのに、真正面のドアが開いて逃げ場がなくなってしまった。

ドアの向こうから、思いがけないような男の人が現れる。

母にしてはめずらしく、少し年上くらいのサラリーマン風の男性だった。


「おかえりなさい。今、ちょっとお邪魔してるよ。」


「あ、ええ。」


「あれ、こんなに遅くまでどこに行っていたの?ずぶ濡れで、まったく。」


苦笑しながら私のためにバスタオルを探す彼。
その姿を見ながら、私は内心驚いていた。

母が連れてきた男の人は、いつも若くて、暴力を振るうような人ばかりだったから。


「はい、タオル。」


「あ、ありがとうございます。」


にこっと笑うマエゾノさん。
その表情に、知らずのうちに先生を重ねている自分がいた。



「お風呂入りな。風邪ひくから。」


「ええ。」



私は、親切で優しいマエゾノさんのことを、嫌いになるはずはなかった。

少なくともこの時は、この人が父親なら、なんて。

そんなことも思ったりした。


この日から、運命は私たちに牙をむきはじめるのだけれど―――