「さあ、遅くなってしまいました。そろそろお店も閉りますね。」


先生の言葉が切なくて、私はまた、泣き出しそうになる。


もしも、本当に先生の命が短いのだとしたら。

そしたら、一秒だって無駄にしたくないのに。

いつだって、眠っているときだって、隣にいたい。

その腕に、ずっと包まれていたい。



「先生……。」


涙を溜めた目で先生を見る。
すると先生は、悲しそうな顔でそっと目を逸らした。



「すぐに帰るとは言っていませんよ。もう少し、夜景を見てからにしましょう。」



そんなに急に、先生にならないでよ。

理性が邪魔するから、私たち、教師と生徒以外のどんなふたりにもなれなくて。



立ち上がった先生の後を追って、そっと袖をつかむ。

至近距離で振り返った先生は、切ない顔でにっこりと笑った。



「あ、帰るの?陽。」


「ごちそうさま。」



先生が会計を済ませる間、私はぼんやりと先生の横に立っていた。


オーナーは、最初に先生を見た時とは明らかに違う、悲しそうな顔をしていた。
まるで、先生の表情が移ってしまったみたいに。



「なあ、陽。ひとつだけ訊いてもいいか?」



先生は、何も答えない。
その横顔は、訊くな、と言っているような気がした。



「いや……やっぱりいい。だけど陽。」



オーナーは歯切れの悪い口調で、先生を真剣に見つめていた。



「大事なもの、見失うなよ。」



先生は、胸を突かれたような表情をした。

先生の苦しみが、透けて見えるような表情を。



「ああ。分かった。……分かってる。」



消え入りそうな低い声で答えた先生が、私のことを見れないわけを、なんとなく分かっていた。
先生にとって大事なものというのが、私を指していないことも。



今日、雨が降らなければよかったと思った。

それなら、私も先生も、現実と向き合わなくて済んだのに。

浅瀬でじゃれ合うように、偽物の愛をふたりで眺めていればよかった。

それだけで、私は満足だったのに。



先生がおさえてくれたドアを通るときも、私と先生は、目を合わせることさえできなかったんだ。